上社山出し祭の人出43万9千人 「安全」徹した第一幕



 夕やみの中を照明に照らされて最後の「前宮四」の御柱が川を渡っていく。無事に対岸に着くと、氏子らの高らかな万歳が何度も繰り返された―。諏訪大社御柱祭の上社山出し祭は最終日の五日、茅野市宮川で前日に続き五本の御柱の「川越し」などを行い、三日間の日程を終えた。諏訪署によると、三日間の人出は計約四十三万九千人で、前回を十万人以上も上回った。けが人も前回より大幅に減り、曳行(えいこう)を終えた氏子らの表情は晴れやかだった。

 今回は、上社の大総代らが「諏訪大社上社御柱祭安全対策実行委員会」(関勘正会長)を初めて組織し、曳行時間を厳密に定め、事前練習を行うなど氏子らに「安全第一」を徹底した。その成果もあり、三日間の負傷者は九人(同署)と、前回の二十五人を大きく下回った。関会長は「全体的に氏子らが決められた規則を守ってくれたおかげ」と振り返る。

 今回の山出し祭では「川越し」の舞台となった宮川で、諏訪建設事務所が河川改修工事をし、氏子らからは「引きやすかった」と好評だった。本来の目的は治水だが、川岸に石を階段状に積み上げ、十六メートル前後だった川幅を二十八メートル前後に広げるなど、安全面にも配慮。氏子らは「前回まで、川岸はコンクリートの壁で足が滑りやすかったが、今回は足場がしっかりしていた」と話していた。

 最後に「川越し」をした「前宮四」の御柱を曳行した雨宮武治大総代=諏訪郡富士見町落合=も「事故もなく曳行できてよかった」。先行の御柱の影響で、曳行予定時間より二時間ほど遅れたが、「それぞれの地域で盛り上がったということでしょう」と笑う。

 「川越し」をした八本の御柱は宮川西側の「御柱屋敷」に安置され、五月三日からの里曳(び)き祭を待つ。

(1998年4月6日 信濃毎日新聞掲載)