これが「本宮一」の重み 湖南・中洲、難所乗り越え安堵
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「穴山の大曲」で、激しい雨の中、湯気を上げながら本宮一の御柱を曳行する氏子たち=2日午前11時02分、茅野市玉川 |
諏訪大社御柱祭の上社山出しが始まった2日、記録に残る1890(明治23)年以降の祭りで、最も大きい「本宮一」を初めて引き当てた諏訪市湖南・中洲地区は、過去の祭りの初日と比べ2倍近い約2千人の氏子が参加した。真っ先に進む責任の重さを感じつつも、難所で知られる茅野市穴山の「大曲(おおまがり)」を予定通りに乗り越え、喜びをかみしめていた。
「待てっ。もっと右」。道が狭まり屈曲する大曲に差しかかり始めた時、マイクを手に全体を指揮していた湖南地区の本部長、桜井孝さん(62)が声を張り上げた。目通り周囲が3・36メートルの本宮一は重さ約9・3トン。柱に乗る大勢の氏子の重みもあってスピードが出過ぎ、制御が難しくなっていったん停止。一呼吸置き、力を合わせて一気に通り過ぎた。
曳行(えいこう)が少しでも遅れると、後続の「前宮一」「本宮二」などにも影響する。責任者たちは一様に「ピリピリしていた」という。同地区の斧(よき)長、牛山一栄(かずよし)さん(60)も、何度も大きな声で全体に指示を出した。「自分で指示して木作りをした御柱が、ちゃんと大曲を通れるのか」との不安もあった。ほぼ想定内だったという午後5時前、茅野市宮川の木落としの坂近くまで到着したのを見届けると、安堵(あんど)の表情を浮かべた。
計8本の御柱の曳行を担当する地区は、2月15日の抽籤(ちゅうせん)式で決まった。湖南地区約170人の「若連」を率いる若者総代、宮沢秀樹さん(48)は、「本宮一」の担当が決まると、いったんは仲間と「すごく喜んだ」が、ほかの曳行の模範とならなければいけないことに気付き、重圧を感じ始めた。初日の役目を無事終え、「今までとは動きが違う御柱を、力を合わせて無事引くことができた」と笑顔を見せた。
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