TOP2016年03月御嶽山噴火1年半 亡き両親思い技術者目指す
洋海さんが使っていたザックを自宅から運び出す猪岡翔さん=26日、山梨県甲斐市

 2014年9月27日の御嶽山噴火で両親を失った高校3年猪岡翔さん(18)=東京都小平市=が4月、親代わりになった伯父の孝一さん(53)、安子さん(42)夫妻の支えで大学に進学する。両親と暮らした山梨県甲斐市の自宅の処分も決まり、26日は片付けに訪れた。噴火から1年半を経て始まる新生活。翔さんは耳が不自由だった両親を思い、障害者の意思疎通を支える技術開発に携わりたいと夢を温め、孝一さん夫妻が旅立ちを見守っている。

 26日、甲府盆地は春の陽気に包まれた。「戻ってきたいけれど...」。翔さんは荷物を整理する手を休め、両親と過ごした自宅リビングで言葉をのみ込んだ。日帰りで御嶽山に登った父の哲也さん=当時(45)、母の洋海(ひろみ)さん=同(42)=の帰りを噴火の日に待っていたのがここだった。

 高校2年だった翔さんは、昨年1月、小平市の孝一さん宅に身を寄せた。慣れ親しんだ土地を一人離れ、身ぶり手ぶりで意思疎通していた両親との暮らしも一変。「伯父さん、伯母さんにどう話し掛けていいか」戸惑った。

 わが子同様に接すると決めていた孝一さんは、感情や考えをあまり表に出さない翔さんに本音で思いを伝えてほしいと強く求めることも少なくなかった。「自分なりに頑張っているのに...」。一人っ子だった翔さんは安子さんに泣いて相談したこともある。夢に両親が現れ、枕をぬらすことも時折あった。

 翔さんの3月13日の誕生日、夫妻はケーキとプレゼントで祝った。おなかがすいたと言えば、安子さんは好物の肉料理をよく作ってくれた。高校を卒業したら就職するつもりだったが、「成績がいいんだから、もう少し視野を広げてはどうか」と孝一さんは大学進学を後押しした。

 翔さんは昨秋、推薦入試の面接に向けて志望理由を考えた。生前の両親と、込み入った話になると思うように意思疎通できず、「もういいよ」とふてくされた苦い思い出がよみがえった。芝浦工大(東京)情報工学科を受験し、面接で「ITのエンジニアになって障害者に優しい情報伝達を考えたい」と訴えた。

 今月1日の高校卒業式。大学合格を誰よりも喜んでくれた孝一さんと安子さんに感謝の気持ちを伝えようとしたが、言葉にならなかった。孝一さんも、会場の体育館を退場していく翔さんの姿が涙でかすんだ。

 翔さんは26日、自宅に残っていた両親の登山用具を親戚と一緒に段ボール箱に詰めた。高校時代、両親の影響で登山にみせられ山岳部に入った。大学生になり、さいたま市で1人暮らしを始めても山岳部に入るつもりだ。

 いつか御嶽山の入山規制が緩和されたら、見つかっていない登山者5人を捜索したいと考えている伯父さんと「一緒に登りたい」と言う。孝一さんも「翔と共に、哲也と洋海の目の前に広がっていた景色を眺めたい」と願っている。

2016年3月27日掲載