写真グラフ
 

屋代線と最後の思い出  今月で90年の歴史に幕
(2012年3月26日掲載)
 

<雄姿をカメラに> 住宅地を通り抜け、信濃川田駅へ向かう電車。県内外から大勢の鉄道ファンが訪れ、線路脇や駅のホームでカメラを構えている=長野市若穂川田



<感謝込め駅清掃> 感謝の気持ちを込めて綿内駅を清掃する綿内小の6年生。集めたごみは学校に持ち帰った=13日



4月1日から運行する代替バスの屋代須坂線。43カ所の停留所の設置作業と、運転手が道順を覚える講習が行われ、移行への準備が進む=14日、千曲市屋代
 

若穂地区住民自治協議会の催しで、屋代線東屋代駅(千曲市)で降りて県立歴史館に向かう参加者。満員に近い状態に「昔を思い出す」との声も=20日



<「屋代線新聞」最終号> 「ありがとう屋代線新聞」最終号を松代駅の駅員に手渡す松代中の青木卓也君(右)。1月下旬に発行した第3号は鉄道ファンにも人気で、2000部以上を印刷した=14日、松代駅



長野市松代町の金井山駅から隣の松代駅まで屋代線を利用してきた87歳の竹内春美さん(手前)。「電車は速くて正確。代替バスは使ってみないと分からない」

 赤字経営が続いていた長野電鉄屋代線(千曲市・屋代―須坂市・須坂、24・4キロ)が3月末をもって90年の歴史に幕を下ろす。沿線では、消えゆく鉄路に別れを惜しむ光景があちらこちらで見られる一方、4月1日からの代替バス運行に向け停留所の設置などの準備も進む。

 通学で利用する生徒も多かった長野市松代中学校。毎週月曜日の朝、松代駅構内を清掃してきた生徒たちは、春休み前の12日に最後の作業を終えた。生徒有志が昨年9月から発行してきた「ありがとう屋代線新聞」も、このほど最終号を迎えた。有志の一人で鉄道ファンでもある青木卓也君(15)は「思い出を残すため、残された時間でできるだけ写真を撮っておきたい」。

 刻一刻と近づく廃線の日。「沿線住民には電車が通っていることが日常だった。(廃線を)納得するには時間がかかる」と、長野市若穂地区住民自治協議会の星沢重幸会長(71)。存続を訴え続けてきた同協議会だが、20日には同線への感謝の気持ちを込め、東屋代駅(千曲市)まで電車に乗って、近くの県立歴史館に出掛ける催しを開催。沿線住民ら100人を超える人々が電車の「旅」を楽しんだ。

 高度成長期の1965(昭和40)年度には最多の年間約330万人を運んだ実績もある屋代線。廃線まで残りわずかとなった今、全国から多くの鉄道ファンも詰め掛け、最後のにぎわいを見せている。

[写真・文 太田一彰]
 
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