TOP2018年02月とうじそば考(1)

 明けましておめでとうございます。遅くなりましたが、一応は新年のご挨拶ということで。

 今年も信州そば漫録を、よろしくご愛読、お願い申し上げます。

 昨12月から言えることだろうが、信州のそば屋は全体に、冬枯れかしら、と目立つほど、客足が減っているような気がしていた。年越しそばの話題も少なかったように見えたし。

 1月に入っても、全体としては、そば屋の客は少ないと感じる。町には外国人観光客の姿をけっこうよく見かけるのに、地方のそば屋にはあまり入らないらしいのだ。「そば文化」や「そばの味」に、まだ慣れない外国人が多いのかもしれない...。

 折から、アメリカCNNテレビで、「2018年に訪れるべき18の場所」として、日本から唯一、長野県が選ばれたという。「そばや温泉、パウダースノーが特徴」などと指摘されている、と(読売新聞より)。特色ある食べものの筆頭に「そば」が挙げられている! 世界に発信するいい機会になったはず。こうした外部の指摘に応えるべく、官民一体で大きなうねりを作り出せると面白いのだが...。

 そんな冬にふさわしい食べ方、メニューとして面白いと思うのが、近年の信州各地に広がってきた「とうじそば」。昔からある伝統的な食べ方なのだが、名前からしていくつもあり、地域によって微妙に調理も出し方も違っていて面白い。

 それで、少し詳しく、来歴などを調べて報告してみようと考えた。調査の途中なので、まだわからないことも多いが、一定の共通事項を決めて、普及の基礎になるといい、と思う。

 ◆不思議な食べ方

 信州では近年、「とうじそば」がジワジワと広まっているらしい。その実態はよくわからないのだが。「とうじそば」はたいへん興味深い食べ方なので、少しくわしく、まとめて紹介したい。今後の信州そばの名物として、広く普及すると面白いはずだと思う。

 「とうじそば」で最初に名乗りを上げたのは、今から40年ほど前、南安曇郡奈川村(現在松本市)だったろう。木曽路から乗鞍・上高地へ抜けるスーパー林道が開通し、都会の観光客が多く通るようになったからかもしれないが。「とうじそば」は、私は以前から名前を聞いていたが、食べたことがなかったので、興味を持った。しかしなかなか食べられない。

 奈川村では最初、村の旅館で始めたのではなかったか。もともと、イロリを囲んで家族が集まって食べるのに向いている食べ方。そのせいか、予約制で、4人が単位だったような記憶が残る。急に出かけようとしても、4人のメンバーがそろわない...。----長いこと奈川村での「とうじそば」は食べられなかった。

 私が最初に「とうじそば」を食べたのは戸隠村で、昭和57年(1982年)3月のこと。

 当時、朝日新聞が発行していた『週刊朝日百科』で、「世界の食べもの 日本編」に「そば・うどん」の1冊があり、その一部を私が書くことになった。これはいいチャンスだ、と「とうじそば」を実演してもらうことにした。

 蕎麦は中社の知人宅にお願いし、昔ながらの手打ち。ゆでて玉状に並べた大ザル2枚を、農村部のSさんのお宅へ運んだ。そこにはイロリが残されており、既にお願いしたように大鍋に具だくさんの味噌汁が作ってあった。S夫妻のご指導のもと、「とうじそば」を食べることが出来た。声をかけて、数人の女性たちにも参加してもらった。

 その食べかたとは...トウジカゴと呼ぶ、ごく小さい(直径10センチほど、円形か楕円形)籠を使う。柄(握り手)が妙に長い(40~50センチほど)。この料理の必需品である。柄が長いのは、イロリの火を囲んで温めるのに、手元に火が当たらないために必要なことだった。

 籠に玉状の蕎麦を入れ、熱い大鍋の汁に浸す。湯がくようにザブザブやって、お椀にあける。この時、少量の具も一緒にさらえこんでお椀に盛る。これをカッカと食べて、次々とおかわりをする...。

 汁の具も蕎麦と一緒にお椀に盛るのが1つの特徴だ。このやり方を、「おにかけ」「おこうがけ」などと呼ぶこともある。地域によって微妙に呼び名も違うことがあるらしい...。

 S氏宅でそうやって食べた蕎麦の味は、なかなかのものだった。ゆでてから時間がたっていた蕎麦の玉は、少し固まっているので、箸を刺すとそのまま持ち上げることが出来る。(この感覚が、うまく伝わらないことが多いのだが)。汁に浸すのは、短時間でいい。お椀に盛った蕎麦は、ふーふー息を吹きかけながらすする。かなり旨いものだった。なぜ旨いのかについては、後にゆっくり考えたものだが。

 参加した若い人たちも、初めての体験だったようで、何杯もおかわりをして食べた。試みは、割とうまくいったと思った。写真をとり、週刊誌に載せた(『週刊朝日百科』99号、昭和57年11月)。

 以後、「とうじそば」については、ずっと関心を持ち続け、機会があれば食べるように心がけてきた。

 例えば、木曽・開田村で開催された、「第一回奥木曽開田高原そば祭り」(昭和58年10月30日)。

 面白そうだ、とのぞいてみたのだが、この時に「とうじそば」が活躍していた。そば食い競争では、お椀に入れた「とうじそば」を5分間で何杯食べられるかを競う。男子は16杯、女子は14杯食べた人が優勝だった。また、500円でそば食べ放題があり、「とうじそば」をどれだけ食べてもいい、というもの。人気が集まって400人もが殺到し、そばが間に合わないくらいの混乱があった。私も一緒になって行列に並び、二度か三度食べたような気がする。たいへん美味しかった。(「オピニオン長野」昭和58年、第101号)

     ☆

 戸隠では別の機会に、農村部で蕎麦を食べることが出来た。1983年1月15日。面白い道祖神行事を見学に出かけたのだが、たまたま、長野市内のM氏という写真家と一緒になった。行事の合間に、M氏が農家のそば打ちを予約してあったので、お願いして同行した。そこでは、ソバ粉をこねて打つところからずっと見せてもらい、写真にとった。主婦のMさんは、農村部に伝わる伝統的な打ち方で、上手に蕎麦を打ち、大鍋でゆでてくれる。ゆでた蕎麦は水で冷し、大きな竹ザルに玉状に丸めて並べた。なるほど、こうやって準備していくのか、と納得した。

 戸隠の、蕎麦を盛る竹ザルは、本来は大きいものだった、と聞いていた。その大きいザルに、ぎっしりと並べる。水から上げた状態のまま並べるので、竹ザルから水がしたたり落ちる。これがそのまま、食べる時までその状態にしておかれるのだった。「とうじそば」のやり方が、こういうことだったのか、とわかった。

 この時に食べたのは、「ざるそば」だったが、確か、とうじて食べる話も聞いたような気がする...。たぶん、大鍋に具だくさんの汁を作り、食べる時に、どんどん「とうじて」食べるのには、このイロリの火一つでまわしていくことが出来るわけだ...。

 逆に考えれば...珍しい客人が見えた時など、冷たい蕎麦を「ざるそば」として出す場合には、2人前、あるいは3人前くらいを一度にゆでて、冷やしたものを提供する。それを食べ終える前に、次の蕎麦をゆでて出す、となるのだろう...。家族がイロリを囲んで食べるのとは大違いの調理だったに違いない...、とは私の推測だが。(以下、続く)

2018年2月 1日掲載

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