TOP2018年06月干葉のおこうがけ とうじそば考(3)

 鬼無里村(現在は長野市)では「とうじそば」を何度も食べた。ここは戸隠村に隣接する地だが、風土の違いをかなり強く感じることが多かった。

 最初は、平成元年前後に、鬼無里村の民宿に長いこと泊まって仕事をしていた時のこと。ある時急に内儀さんから、「おこうがけ」を食べるかね、と聞かれた。あれまあ、蕎麦の「おこうがけ」は、食べたいと思っていたので、私は飛びついた、ぜひお願いします、と。

 その前段として、長野県商工会連合会の婦人部で、『信州の郷土食』という本を編集したことがあり、そこに鬼無里名物として「ヒバのお煮(こう)がけ」が紹介されていた。

 「干葉をゆでもどし、きざんで、濃いめの煮干しのだしで味噌汁を作る。とおじカゴでゆでておいたソバを味噌汁の中で温め、その実や汁をかけて食べるのが、名物・ヒバのお煮がけで、ゆでたてとは違うソバのうまさである。...」(『信州の郷土食』昭和60年銀河書房)

 ...この「干葉(ひば)のおこうがけ」が、さっそく食べられた。丼に、かなりの量の蕎麦が入っていた。すすると、やや太めの麺が、地粉らしい風味があり、具(おこう)の干葉のなつかしい味がした。そうか、これが「おこうがけ」か...。いつもの夕飯にプラスしてくれたので、お腹が満杯になったものである。

 民宿では、それから時々、「おこうがけ」を出してくれた。何かの折に、エゴマの汁をドサッとかけてくれることもあった。これがごちそうなんだ、と。あれまあ。エゴマ(いくさ)は、ゴマ(胡麻)のような油料物資である。少しクセがあって、人により好き嫌いが分かれる。私は子供の時にけっこう食べたことがあったので、抵抗なしに食べられたが。時にはしつこくて敬遠した時もあった。「干葉のおこうがけ」にエゴマは、なかなかいい取り合わせだった...。

 鬼無里の特徴の一つは、干葉を野沢菜で作るという点がある。民宿でもしきりに強調して、見せてくれた。野沢菜は本来蕪菜(かぶな)である。つまり蕪を食べるのが中心だったので、大きな蕪が出来た。それに付随して菜っ葉も食べる。漬物(野沢菜漬け)は全国的に有名になったが、蕪の利用の方は、かなり忘れ去られつつあるようだ。村では大量に栽培された野沢菜の一部を、軒下などに干しておく。陰干しにして緑色を残すのがいい、と工夫を教えてもらった。

 干葉はよく言われるのは、大根の葉で作るもの。これは長野県中に、いや日本中にあったものだろう。私も子供の時には食べた記憶がある。冬期の野菜不足を補う、重宝なものだったに違いない。昭和四十年代には、各地の農村で干葉を干している光景をよく見かけたものだった。しかし、ほとんどが大根葉だ。野沢菜の干葉は珍しい。大根葉でも野沢菜でも、細かく切って汁の具(おこう)に使う。少しえぐみがあって、好みが分かれるかもしれない...。

 干葉は別名「干し菜」とも呼ばれた。信州の農村では、各地で古くから保存食として利用したらしい記録を、たまに歴史資料の中に見かけることがある...。

 鬼無里村では別の機会に、この民宿で、「干葉のおこうがけを食べる会」などを催したこともあった。冬の電気こたつで、簡単な卓上コンロに鍋をこしらえ、そこでトウジカゴで湯じて皆でワイワイしゃべりながら食べる蕎麦は、いつも美味しかった。ある時は、旧家のイロリの残る部屋で、イロリの火にかけた大鍋で湯じて食べたこともあった。

 不思議なことに、この民宿では、「ざるそば」と「おこうがけ」では、味わいが違った。高齢のお婆ちゃんが蕎麦を打つのだが、息子さんが定年退職してからは、自分もそば打ちを覚えて、客に出すようになった。力があるので、細くシャキッとした姿のいい蕎麦を打つ。味もなかなかである。ただし、「ざるそば」で食べると、冴えたいい味になるような気がした。

 ところが、「おこうがけ」になると、なぜか、婆ちゃんの打つ蕎麦の方が旨い。不思議なものだった。地元の女性たちに聞いたら、やはり同じような感想を話してくれた。...料理により、向き・不向きがあるのかしら、と思ったものである。

 理屈を言えば...女性の打つ太くてやわらかな蕎麦は、いったんゆでた後も、表面の風化がそこだけで止まる。芯の部分は、打ちたての風味をきちんと保持しているのではないか...。伝統の力とは素晴らしいものだ、とひそかに納得したのだった。

2018年6月 6日掲載

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