未来へつなぐたすき(5)-2=大町北安曇 若手育成、地元で大会

11月02日(水)

 「あのころは地域全体に熱気があった。農村青年がよく走ったもんだと思うよ」。大町市常盤の高橋一守さん(83)が60年余り前を振り返る。

 北安曇郡(現大町市を含む)では、終戦後すぐに町村対抗の陸上競技大会や運動会が復活した。1951(昭和26)年には県縦断駅伝より1年早く、今も続く大北縦断駅伝が青年団主催で始まった。

 日本の中距離エースとして大学陸上界で活躍した高橋さん。帰郷すると、ベルリン五輪(36年)出場者で県縦断駅伝創設に関わった故田中秀雄氏(下伊那郡阿智村出身)が「北安曇でも県縦断駅伝のチームをつくれ」と声を掛けた。

 高橋さんがチームづくりに奔走し、大町北安曇は55(昭和30)年の第4回大会から参加(第4回のみチーム名は北安曇)。選手層が厚く、「むしろ外す選手への説得に随分気を使った」という。第12、13回(63、64年)の3位など、上位の常連だった。

 だが、昭和30年代が過ぎ、大北地方は人口減少が進む。池田町出身の中山竹通(たけゆき)さん(52)のように実業団や五輪へと羽ばたく選手も出たが、今は社会人を中心に選手確保は一苦労だ。

 常盤公民館長だった83(昭和58)年、高橋さんらは地区対抗の常盤少年駅伝大会を始めた。ことしも今月3日、伝統のたすきをつなぐ子どもらに、自宅前で声援を送る。「もう一度、陸上競技を盛んにしてもらいたい」。そう願って。

(昨年13位)