競歩長野・シドニーにかける(2)=20キロで日本最高の柳沢


<4年前の失敗バネに>

 四年前、柳沢哲(綜合警備保障・中野実高―山梨学院大出)はアトランタ五輪代表をつかみかけていた。一九九六年一月の日本選手権20キロで三連覇を達成。日本最高記録保持者でもあった。最終選考レースとなった四月の全日本大会(石川県輪島市)に意気込んで乗り込んだ。

 当時のベスト記録は1時間21分37秒。まだ世界で通用する記録ではなく、輪島で記録更新を狙った。だからこそ、守りに入ることなく攻めた。ライバルの池島大介(日大)を途中で引き離し、日本最高を大きく上回るペースで断然トップだった。が、残り2キロで失格を宣告された。

 優勝した池島は、柳沢の日本最高を更新する1時間21分24秒。当時の日本陸連競歩部長だった九二年バルセロナ五輪代表の園原健弘さん(飯田高―明大出)は「今日の結果を尊重せざるを得ない」と話した。後に池島は代表に選ばれた。

 だが、柳沢はあきらめきれなかった。「記録でアピールするしかない。最後までやるべきことはやっておきたかった」。欧州の大会を探し、約一カ月の遠征に出た。時には独りで行動しながら全部で3レースに出場。ドイツの大会では日本最高を上回るタイムでフィニッシュした。が、レース後に失格を言い渡された。他の2レースも成績は振るわなかった。

 「ぼろぼろでしたね。帰りの飛行機の中は、体を逆さに振っても何も出てこない感覚でした」

 その後の三年間、国内でなかなか勝てなかった。日本選手権20キロは、池島に三連覇された。柳沢は前半から積極的に飛ばしながら、途中で失速する展開の繰り返し。だが、「たまたま(失敗したの)が三年間だった。最初から速く行けたのだから、深刻に悩むことはなかった」という。

 再び迎えた五輪イヤー、今年の日本選手権20キロ(1月・神戸)。過去に三連覇した選手は、柳沢を含めて四人いたが、四連覇はいない。「池島に連勝記録を塗り替えられることだけは避けたかった」と柳沢。その気持ちと、粘り強く培ってきた力が、昨年の世界ランキング8位に相当する1時間19分29秒の好記録につながった。タイトルと日本最高記録を一気に奪回した。

 課題だったフォームで警告されることは少なくなった。白井一夫コーチ(日本陸連強化委員)は「四年前より技術的なことを考えるようになり、知らないうちに動きが良くなってきた」と指摘する。

 だが、柳沢自身はまだ不安をぬぐえない。「不安だらけ。ほかの人から良かったと言われても信じない。もっと良くしようと思うのは、だれでも同じです」。それでも、レースになれば、いかに速く歩くかに集中するだけだ。

 日本選手権の好記録が評価され、シドニーで二十九日に開く五輪プレ大会に出場できそうだ。「トップが見える位置で歩きたい。もちろん五輪代表には選ばれると思って練習しています」

 「心技体のバランスがいい状態」という二十九歳は、一歩先の段階に目を向けている。

 【やなぎさわ・さとし】

 中野実高時代は酒井弘(富士通・北部高出)と同学年で、県大会、北信越大会とも酒井に勝てず「万年2位」の陰の存在だった。山梨学院大で頭角を現し、香川県体協に所属した後、綜合警備保障へ。95年に20キロと30キロで日本最高、五千メートルで日本新をマーク。現在は20キロで1時間19分29秒の日本最高、五千メートルで19分9秒90の日本記録を持つ。中野市出身。171センチ、63キロ。71年1月生まれの29歳。

(2000年4月12日 信濃毎日新聞掲載)