スピードスケート女子団体追い抜き決勝で五輪新をマークして金メダルに輝き、観客席に手を振る(左から)菊池彩、佐藤、高木菜、高木美=21日、韓国・江陵
女子団体追い抜きで金メダルに輝き、手をつないで表彰台に飛び乗る(中央左から)菊池彩、佐藤、高木美、高木菜=江陵

女子追い抜き「金」 遅咲き菊池彩、ついに栄光

201802/22

 平昌(ピョンチャン)冬季五輪第13日の21日、スピードスケート女子団体追い抜き決勝で、日本は高木美帆(23)=日体大助手、高木菜那(25)=日本電産サンキョー、佐藤綾乃(21)=高崎健康福祉大=の布陣で2分53秒89の五輪新記録をマークしてオランダを破り、金メダルを獲得した。準決勝では菊池彩花(30)=富士急・南佐久郡南相木村出身=が入り、決勝進出に貢献した。
 日本のメダルは11個で、1998年長野五輪を上回り冬季大会最多となった。今大会の日本の「金」は3個、通算では13個。今大会の県勢のメダリストは、スピードスケート女子の小平奈緒(31)=相沢病院・茅野市出身、ノルディックスキー複合の渡部暁斗(29)=北野建設・北安曇郡白馬村出身=と合わせ4人となった。
 高木美は1500メートルが2位、1000メートルが3位で金、銀、銅のメダルを得た。
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 決勝はリンクサイドで仲間の滑りを祈るように見つめ、金メダルが決まると両腕を突き上げた。クライマックスの一つ前、スピードスケート女子団体追い抜きの準決勝を任された菊池彩花。平昌五輪最後のレースでチームを決勝に導き、仲間とともに輝くメダルを手にした。
 この種目で、日本が初めて世界距離別選手権を制した2015年。高木菜那、美帆姉妹とともに主力を担ったのが菊池彩だ。女子としては遅咲きの、26歳で14年ソチ大会で五輪デビューした翌シーズン。地道に蓄えてきた力が、ようやく世界の舞台で発揮され始めていた。
 16年8月。北海道帯広市でナショナルチームの氷上練習に参加していた時だった。転倒した菊池彩が他の選手を巻き込む形になり、その選手のブレード(刃)で右ふくらはぎを切った。右腓骨(ひこつ)筋断裂。状況がのみ込めないまま緊急手術を受け、「周りの人たちの顔色を見て、これは相当まずいなと察した」。平昌五輪を1年後に控えた16〜17年シーズンは、公式戦に一度も出場できずに終わった。
 佐久長聖高から、橋本聖子や岡崎朋美ら五輪メダリストを輩出した富士急に入社した。小学生の頃から夢見た日本代表選手に近づいた気がしたが、現実は厳しかった。「夏の(陸上)練習でも周りのレベルについていけない。自分がここにいていいのか。自信を失う一方だった」。初めてワールドカップ(W杯)に出場したのは23歳の時。入社から5年がたっていた。
 「長野の小さな村(南佐久郡南相木村)で育って、全国レベルなんて知らなかった。高校でも一度も日本のトップは取れなかった。今、日本代表で一緒の人たちは、ジュニアの頃から世界大会を回っている選手ばかり。小さな頃から知り合いの関係がうらやましかった」。菊池彩は、選手として芽が出るまでの長い時間をそう振り返る。
 挫折しそうになっても諦めず、地道に努力を重ねてきた競技人生。いつも、自分より強い選手の背中を追いかけてきた。平昌五輪の前シーズンの大けがで、「諦めそうになったことが一切なかったかと言えば、うそになる」。それでも、今まで歩いてきた道と同じように「やるしかない」と思えた。
 富士急に入社して間もない頃。日本代表として国際大会に出場した同僚選手から、代表のジャージーをあげると言われた。「いや。絶対に自分で(代表になって)着たいから」と断った。座右の銘は「ステップ・バイ・ステップ」。一歩一歩の積み重ねが、30歳で迎えた五輪で金メダルにたどり着いた。