怪しいTV欄

2020.6/28

沖縄戦 「封印」された列車爆発事故

 戦後は米軍に強制接収されて牧港住宅地区となり、1987年に返還。その那覇新都心と呼ばれる地域に2007年に開館した沖縄県立博物館には、沖縄の歴史をたどることができる常設の展示があります。

 ここで初めて私は、沖縄に鉄道があったことを知りました。軽便と分類される小型の鉄道です。開業したのは大正時代。路線網は那覇を起点に与那原、糸満、嘉手納の3方面へ。

 収穫されたサトウキビや、通学する学生を運んでいたそうです。けれど、太平洋戦争が始まります。この鉄道の展示を見て私は、線路は全て戦場になり破壊されたと理解しました。
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 でもその前に、大きな事故があった事実を掘り起こしたのが、日本テレビの「NNNドキュメント」枠で放送された「封印~沖縄戦に秘められた鉄道事故~」。敗戦に至る沖縄戦の前年に、列車の爆発事故が起きていました。

 唯一の生存者、糸数ヨシ子さんは当時15歳の女学生。少し前から沖縄県営鉄道は軍の輸送機関となっていましたが、その日は軍人たちと同乗。彼らの座る下にガソリン
や弾薬が積まれているのが見えたそうです。

 蒸気機関車の時代。煙突からは煙だけでなく火の粉も飛びうる。それなのに、覆いのない貨車に火気厳禁の積み荷。引火させるなんてばかげた失敗がまさか、と思ってしまいますが、そのまさかで引火、爆発。しかも駐屯地の近くを通りかかっていて、線路の周囲には爆弾などが野ざらしで積み上げられており、それらもことごとく、爆発。220人以上の乗客乗員が命を失い、ほとんどが軍人でした。

 鉄道事故としては日本最悪、と言われている40年に大阪で起きた西成線事故を大きく上回る死者数。なのに、なぜこの事故については記録もあまり残っておらず、「封印」された形になっているのでしょうか。

 ばかげた失敗、とあえて書きました。軍の規則では当然、爆弾類についてこのような運搬方法は違反にあたります。つまりこれは、軍の規律や秩序の乱れが招いた過失による事故でした。
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 なぜそれほど多くの爆弾が運搬、備蓄されていたのかと言えば、米軍が迫っていたから。決戦に備えた軍備を大量に失ってしまったわけで、この過失は沖縄戦そのものにも及びます。

 軍内部での過ちの隠蔽(いんぺい)。地元住民にも口外しないように指示が及ぶ。大日本帝国軍をめぐっては、よく聞く話です。さらに番組は、軍に残された史料を見つけます。

 そこには、事故により軍の戦力が半減してしまったから上陸されたらもはや玉砕するしかない、という指摘が。発言の主は、沖縄戦を牛島司令官と共に率いることになる長(ちょう)参謀長でした。

 失った軍備は補充がままならず、事故から4カ月後に米軍が上陸。そして沖縄は、地元の少年兵が爆弾を抱えて敵の戦車の下に潜り込む自爆攻撃が繰り返されるような、悲惨極まりない戦場となり、実に多くの住民が犠牲になりました。

 権力内部の過ちを隠すやり方も、最新の情報に対応して計画の変更を再考することができないのも、沖縄の置かれている状況に真摯(しんし)に向き合わないのも、あの頃と何も変わっていません。