怪しいTV欄

2021.8/27

やりがいの末の相互監視

 またしても中止の英断はなされず、東京パラリンピックが開催されています。感染の拡大、医療の逼迫が進行するその最中で。

 国は具体的な方針を示さず、行き当たりばったりで先が見えない。不安を抱えるあまり、感染拡大への影響が否定できない他人の行動を批判、攻撃する声が高まっています。「私はこんなに気をつけてるのに」「我慢してるのに」の思いが高じてのことなのか。

 NHKスペシャル枠で放送された「銃後の女性たち~戦争にのめり込んだ〝普通の人々〟」を見ました。オリンピック中継の影響を受けて例年よりも縮小された、戦争特集の1本。

 大日本国防婦人会。戦中の暮らしを扱ったドラマなどではよく見かける、会の名前を掲げるたすきを掛けた、白いかっぽう着の女性集団。登場するシーンは、消火などの訓練や奉仕活動で主人公を叱咤するとか、非常時にふさわしくない暮らしぶりを見つけ出しては口を出すとか。当時を描くには欠かせない脇役ですが、婦人会の女性が主人公になることはあまり多くない。

 番組は、詳細な資料が残る長野県松尾村(現飯田市)を含め、国防婦人会で活動した女性たちが残した記録と、彼女たちを一番近くで見つめていた娘や息子たちの証言から、その実態と胸の内を探っていきます。

 特に「娘」からの視点が、肝になっていました。現在は80代90代の女性たち。当時、20~40代だった自身の母親を振り返って、娘を思う母親のような視線になる。寂しさや苦しさを思いやり、迷いさえもいたわるような。

 番組でわかってくるのは、女性たちにとってそれは、とても希少な「社会参加」の場だったということです。

 始まりは太平洋戦争開戦の10年前、大阪でした。なにかとあめちゃんを渡すような、中年の女性らしい心遣いで、出征する兵士にお茶などを振る舞った活動がきっかけで、やがて大阪国防婦人会が設立されます。男性優位、嫁は姑に従わなければならない。そんな時代に、家の外で「お国のために」活動することにはやりがいも、楽しささえもあったはず。

 そんな婦人会が1000万人の大組織になるのは、陸軍の支援、つまりは利用があったからです。夫が死ぬ、子どもが傷つき飢える。それが多くの妻や母親にとっての戦争ですが、そんな戦争への不満を抑え込む役割を狙っての支援。さらには、母親として息子を戦争に誰も出さなかったら半人前」というような、軍や国にとって都合のいい価値観を共有、再生産する場にもなっていきます。

 やがて婦人会は、国内でそして占領地でも、軍や国にとって都合のいい日本人らしさや、国の方針に従う生活からはみ出す人たちを抑圧する機能を備えてもいきました。

 戦況が悪くなり、生活が厳しくなる。できる限りの協力をして頑張っているからこそ、金属供出の呼びかけに隣家が鍋を全部提出したかどうかが気になる。隠しているのでは、と疑ってしまう。足を引っ張りあってしまう。

 番組は、立ち上げ当時から国防婦人会の活動をしていた女性の「娘」、久保三也子さんの言葉で終わります。「世の中ってね、ちゃんと見ておかなあかんなと思って」。相互監視をするよりも、目を凝らして見るべきものが。