怪しいTV欄

2021.9/10

「自決しろ」 現代にも似た響き

 サイパン島ロタ島。昭和のテレビでは、それら北マリアナ諸島への旅行がよく景品になりました。ハワイの半分の時間で行ける、外国の南の島。現在はアメリカ自治領、敗戦までの25年間は日本の委任統治領でした。この二つの島の間にある、テニアン島も。

 NHKEテレ・ETV特集枠で放送された「『玉砕』の島を生きて~テニアン島 日本人移民の記録」を見ました。集団自決に追い込まれ家族を仲間を自分が手にかけた、その記憶をカメラの前で口にすることが、思いおこすことが、そしてその行為を行ったことが、どれほどの痛み苦しみなのか。なにもかもが想像及ばず、ただ耳を凝らして見ました。話していただくため、取材は20年以上に及んだそうです。

 スペインが島民を強制移住させ家畜の島になっていたテニアンを、第1次大戦後に統治権を得た日本が開発。南洋興発という会社の仕切りで、多くの人々が日本から移住しました。福島、沖縄、そして朝鮮出身者も。サトウキビ栽培の仕事がある。内地で不足する甘いものが豊富にある。地元で苦しい生活を送る人たちは豊かな生活を夢見ました。

 しかし、日本軍が大きな飛行場を構えたこの島は、太平洋戦争で米軍の南洋攻略が進むと、本土の攻撃の重要な拠点として猛撃を受けることに。日本軍守備隊8千人のほとんどが玉砕しました。

 南洋興発の社員も義勇隊として塹壕掘りに駆り出され、攻撃に直面します。親友が弾を受け、はらわたが飛び出し苦しむ姿に、「早く命を絶ってやらんとかわいそう」と首にダイナマイトを巻いたのは、当時18歳だった社員の男性。「一面では殺人者」だったのかもしれないと、苦しさを抱え続けています。

 1万3千人の日本人居留者の多くが、米軍に殺される、ひどい暴力を受けるというデマに恐怖しながら逃げまどいました。いくつかの家族が洞窟で息を潜めていると、1人の日本兵が入り込んできて、「みんなで自決しろ」「捕虜になったら恥」と。手榴弾は一つ、その兵士と一番近くにいた1人が死に、子どもたちの多くがけがを負って泣き叫びます。「下の子から殺していった」「みんなが殺すから」。

 両親と妹を連れて逃げていた18歳の男性は、ついにアメリカ軍に囲まれ、手を合わせそれを望む母親に、銃を向けました。2発。するとまだ9歳の妹が「今度は私の番」と手を合わせて。

 当時の新聞には全員玉砕と書かれましたが戦後、収容所生活などを経て9500人が引き揚げてきました。心身の傷だけが残り、貧しく、故郷ではひどい言葉を投げつけられることも。

 移民は国のためにもなっていたはずです。体良く国外へ追い出され、飛行場建設や義勇軍への参加などの奉仕もつとめ、街が栄えたのは移民の労働もあってのこと。しかし放り出され、集団自決に向かわされた。家族や仲間を手にかけ、一生の苦しみを背負った。

 自決は自害や自殺、そして「自分の意志で決定すること」も意味します。「自決しろ」の指示は双方の意味を含んでいたことに、あらためて恐怖を感じ、権力側の無責任を断じずにはいられません。「自助」や「自己責任」という、似た響きの言葉を現在の視界に確認しながら。