【第25回】スイッチバックの姨捨駅と田毎の月

【図1】25パーミルの急勾配が連続する篠ノ井線の麻績(現聖高原)~稲荷山間とその周辺。1:200,000帝国図「長野」昭和11年(1936)修正

善光寺平を見下ろす「日本三大車窓」の一つ

 鉄道旅行が好きな人の間で知られる「日本三大車窓」。北海道の根室本線が狩勝(かりかち)峠を越えた東側に広がる十勝平野の展望、熊本・宮崎両県境付近の肥薩(ひさつ)線の矢岳(やたけ)越え、そして長野県の篠ノ井線姨捨(おばすて)駅とその周辺から見下ろす善光寺平......というのが定説だ。誰が言い始めたかはわからない。それでも絶景であることには間違いなく、手元にある昭和11年(1936)発行の『旅窓に学ぶ』〔1〕でも姨捨駅あたりの車窓をこんな風に紹介している。
 

やがて〔冠着山(かむりきやま)の連山を〕南北に貫く延長二粁六五六の大隧道(ずいどう)に入る。長さでは清水や丹那に比すべくも無いが、坑内は全線四十分〔1/40勾配=25パーミル〕の急勾配線で姨捨方面へ降下するので、長野方面から松本方面へ向ふ列車は、稀有の煤煙に悩む処である。全国鉄道中、屈指の乗務員泣かせの隧道となつてゐる。
 冠着大隧道の出口は、姨捨停車場のスヰツチバツク線となる。駅前の大展望は北海道狩勝にも劣らぬ大観で、唯〔誰?〕でも驚嘆の瞳を見はる。遙か下を見渡すと信越本線屋代を中心として、左右に幾ヶ村の聚落(しゅうらく)箱庭の如く、そこを流るゝ千曲川流域一帯から、有名な川中島の古戦場、長野市の瓦甍粉壁(がぼうふんぺき)、所謂(いわゆる)善光寺平の大観は、地図を展げた如く一々指呼(しこ)される、すぐ前面には、田毎(たごと)の月に名高い鏡台山(きょうだいさん)〔駅の東約10km〕が女性的な山容を見せ観月の勝地長楽寺は駅の下にある。そこの観月堂から見る「田毎の月」は、鏡台山にさし昇る月影が階段状をなして足下にある水田毎に明姿をうつす、秋ならずとも実に美しい詩境で、流石(さすが)に昔の雅客(がかく)は面白い処を発見したものと思ふ。

※〔  〕部は筆者補足

 思いがけず長い引用となったが、昭和10年(1935)前後に執筆したと思われるこの筆者も、塩尻~篠ノ井間の各駅をたどるべき車窓描写の約4分の1をこの駅前後に充てており、「大観」の描写には力が入ったようだ。

地すべり地帯に広がる名勝の棚田

 姨捨駅の下に広がる千曲市の「田毎の月」は全国的に知られた広大な棚田で、田植え前に水を張った時期になると各地から多くの人がカメラを手に集まってくる。国の名勝で、令和2年(2020)にはその月景色が「日本遺産」に認定された。平地の少ない地方には棚田が多いが、地すべり地帯には顕著だ。地すべりは不透水層の上に地下水が溜まり、その上に載った地盤がすべる現象である。
 構造的に地下水が豊富なことから、古くから棚田として利用されてきた。長野県北部には「第三紀層地すべり」が多いが、これは約6500万年から170万年前に海の底で川が運んだ泥が堆積した第三紀層から成る。過去にしばしば地すべりが起きたことで土壌がほどよく耕された状態なので、米の味が良いとされる〔2〕。

【図2】姨捨駅とその周辺。現在では絶景のスイッチバック駅として知られるようになったが、その少し上方にある長野自動車道の姨捨サービスエリアも絶景を楽しめる。地理院地図(陰影起伏図・透過率80%)令和4年(2022)3月27日ダウンロード

冠着トンネルを出て冠着駅に入線するD51形蒸気機関車。篠ノ井線では昭和45年9月まで活躍した。後方のトンネル内の排煙設備(送風施設)は、一部が現在も残る=昭和41年10月(信濃毎日新聞データベースより)

 『旅窓に学ぶ』に記された〈全国鉄道中、屈指の乗務員泣かせの隧道〉とある冠着トンネルの区間は明治33年(1900)11月1日に開通した。篠ノ井~西条(にしじょう)間である。松本を経て塩尻まで全通したのは同35年。長野県内の鉄道では最初となる信越本線が直江津方面から南下、同19年から21年の間に軽井沢まで開通していたが、同25年には鉄道敷設法が施行されて全国的に建設すべき路線が具体的に列挙された。
 この中に現在の中央本線にあたる〈神奈川県〔現東京都〕下八王子若(もしく)ハ静岡県下御殿場ヨリ山梨県下甲府及長野県下諏訪ヲ経テ伊那郡若ハ西筑摩郡〔現木曽郡〕ヨリ愛知県下名古屋ニ至ル鉄道〉および、これと信越本線を結ぶ現在の篠ノ井線〈長野県下長野若ハ篠ノ井ヨリ松本ヲ経テ前項ノ線路ニ接続スル鉄道〉が明記され〔3〕、全国では計33線区が列挙された。しかし優先的に着工すべきものとして挙げられたのは9線区に限られ、そこには後者の篠ノ井線が含まれていなかった。
 長野県会はこれを不服として翌26年2月、帝国議会に建設要望書を提出している。中央本線と信越本線を結べば多くの便益があることを縷々述べ、この路線あってこそ大目的が完遂されるとした〔4〕。政府はこれを受けて翌3月には調査を始めている。「敷設法」に記された経路は大まかなものなので、経路確定のために犀川線、大町線、保福寺線、三才山線、篠ノ井線などについて予測を行った結果、経費や距離を勘案した結果、篠ノ井線に決定。県会の要望通り「第1期線」に繰り上げられた。

【図3】篠ノ井線稲荷山~聖高原間の縦断面図。上り列車は稲荷山駅を出てから冠着トンネルを抜けるまで25パーミルの急勾配に挑む。蒸気機関車時代は同区間に50分かかった。地理院地図の縦断図モードおよび小学館『日本鉄道名所 中央線 上越線 信越線』1986年発行 p.117により作成

姨捨までの連続急勾配、そして煙の洗礼

 設計された線路は善光寺平から冠着トンネルを抜けるまでの12.5kmが休みなしの連続急勾配となった。制限いっぱいの25パーミルである。勾配途中には駅が設けられないため、やむを得ず脇道へ入った所に平地を造成したのがスイッチバック構造の姨捨駅である。
 全長2,656mの冠着トンネルは明治36年(1903)に中央本線の笹子トンネル(山梨県・笹子~初鹿野=現甲斐大和間)が開通するまで約2年半は日本一の長さを誇ったが、乗務員や乗客を襲う濛々(もうもう)たる煙を少しでも軽減すべく、昭和6年(1931)3月には冠着トンネルに排煙装置が設置された〔5〕。それでも『旅窓に学ぶ』に記されたような難行を強いられたようで、根本的な解決には気動車やディーゼル機関車の導入による昭和45年(1970)の無煙化を待つしかなかった。
 今となっては珍しいスイッチバックの姨捨駅。そのプラットホームのベンチは通常とは逆で、列車に背を向けている。近年では上りホームに展望台が新設された上に、豪華寝台特急「TRAIN SUITE 四季島」の停車駅に"出世"。もちろん絶景を楽しむためだが、かつてはその絶景の後に荒っぽい煙の洗礼が待っていた。これも忘れてはいけない「史実」というべきかもしれない。

姨捨駅の上りホームに設置された善光寺平の展望台。観光列車による姨捨駅訪問のツアーも組まれ、参加者が夜景を楽しむ=平成26年7月(信濃毎日新聞データベースより)

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〔1〕『旅窓に学ぶ 東日本篇』ダイヤモンド社 昭和11年(1936)p. 242
〔2〕土砂災害防止広報センター>学び伝える>地すべり【リンク:ここをクリック
〔3〕『官報』明治25年(1892)6月21日付【リンク:ここをクリック
〔4〕『日本国有鉄道百年史』第3巻 p.672
〔5〕『日本国有鉄道百年史』第9巻 p.580

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