豊誠堂製菓舗―長野市三輪

野沢菜

幅7.5㎝x厚さ3㎝ 98g 野沢菜塩漬け・麩 (醤油、砂糖、サラダ油、ごま油、粉末だし)

丸なす

幅9㎝x厚さ2.5㎝ 118g 丸ナス(味噌、砂糖、ごま油、粉末だし)

ちょい辛きざみなす

幅7㎝x厚さ2.5㎝ 92g 丸ナス(味噌、砂糖、ごま油、七味唐辛子、粉末だし)

あんこ

幅7㎝x厚さ3㎝ 96g 小豆粒あん(砂糖、塩)

 「お姉ちゃんがいてくれるからお店が回るの」とは、代表兼営業担当の上條登志子さんの口癖。そろそろ喜寿を迎える中澤美代子さんがそのお姉ちゃんです。
 2つ違いの妹が全幅の信頼を寄せるお姉ちゃんのアンテナは、さまざまな情報をキャッチして商品開発に繋げます。「新型コロナにキムチがいいらしいというのをテレビで見て、キムチと豚のおやきを作ってみたら、これがおいしいの」。おやき屋の中でも圧倒的な種類の多さを誇るのは、「お姉ちゃんが研究熱心だから」と登志子さんが太鼓判を押します。
 1日のほとんどを工場で過ごす美代子さん。スタッフ6人と一緒に毎日フル回転でおやきと和菓子を製造しています。一方、登志子さんは店頭で接客をしながら、工場とお店を行ったり来たり。新商品に合わせてラベルやPOPを作ったり、配達をしたりと、朝から晩まで座る暇もありません。姉妹それぞれの適性を生かした仕事ぶりが、創業70年となる現在の豊誠堂の要となっているのです。

 2人の父親で豊誠堂製菓舗の初代、成澤博さんが長野市桐原に移り住んだのは、戦後間もない昭和22年のことでした。三菱重工の軍事工場で働いていた博さんは、終戦による工場閉鎖に伴って、妻の実家があった長野市桐原へ家族で移り住みました。機械を扱うことに長けていたため、当初はミシン屋を開業しましたが鳴かず飛ばず。次は鉱泉煎餅を焼く機械を手に入れて、煎餅を売り始めると、これが大当たり。毎日、原料の小麦粉を持って煎餅を焼いてもらいに来る人の行列ができるほどの大繁盛となりました。昭和26年に現在の店舗がある土地を購入。鉱泉煎餅のほかに、おやき、和菓子、洋菓子、パンなどを手広く製造販売するお店を開業します。
 商品の数が増えるにつれて、そのおいしさも口コミで広がって、近所の商店からも豊誠堂の商品を売りたいという話が舞い込み始めます。おやきや和菓子の卸売りがほとんどなかった昭和40年代、卸先はどんどん増えて、目の回るような忙しさに。住み込みの職人が10人、通いのスタッフも何人もいて工場はごった返していたそうです。「朝食の賄いを作るお母さんはほんとに大変だった」と美代子さんは懐かしそうに話します。
 仕事量が増えるにつれて、スタッフの負担が増すのは仕方のないこと。機械好きの博さんが打った手は、製造機械や加工機械を入れることでした。「何て言ったって、おじいちゃんは機械が大好きで大好きで。従業員の負担が少しでも軽くなるように、少しでも長く勤められるようにって、いろいろ工夫してくれたの。おじいちゃんが残してくれた機械があるからお店を辞めるわけにはいかないじゃない」と美代子さん。工場にお邪魔すると、粉練りのミキサーや石臼餅つき機、野沢菜や丸ナスのカッターなど、食材の下準備をする機械が所狭しと並んでいました。もちろん現役で大活躍していますが、今は修理してくれる人を探すのも大変で、入社4年目のスタッフが勉強しながら機械担当を務めているそうです。

 現在、豊誠堂の定番おやきは17種、季節メニューは18種ほど。おやき店の中でも種類が多く、野菜の旬にこだわったおやき作りをしています。ふきのとう・のびろ・こごみなどの山菜はもちろん、あしたば・みょうが・辛味大根など希少野菜、牛肉しぐれ煮・チーズ入りピーマン・カレーハンバーグなどのオリジナルおやきも豊富です。「若い人にもおやきで季節を感じて欲しい」という美代子さんは、スタッフたちと山菜を採りに行き、契約農家に野沢菜やなすを作ってもらい、自家菜園で野菜を育ててもいます。
 一番人気の「野沢菜」は、仕込む野沢菜も大量。晩秋に木島平の契約農家から軽トラ1台400キロの野沢菜が数回届くというから驚きです。その都度、機械でカットして塩漬けの繰り返し。さらに15キロを2~3日かけて塩抜きし、醤油、砂糖、みりん、だしと一緒に大量に煮るのです。
 「野沢菜」と人気を二分するのが「丸なす」。丸なすの収穫期は夏から秋なので、それ以外の時期は当然作ることができません。豊誠堂が卸売りを始めた昭和40年代、冬に丸なすおやきを食べたいという需要に応えようと、初代の博さんが走り回った結果、冬でも温暖な熊本で作った丸なすを仕入れることができるようになったそうです。登志子さんは「長野の人は、冬でも丸なすが欲しいのよ。だからおじいちゃんが骨を折って、冬でも丸なすのおやきができるようにしたの」。北信のスーパーには冬でも丸なすのおやきが並んでいるのは、博さんの努力があったからこそなんですね。
 「ひとつひとつのおやきにドラマがある」という登志子さん。おやき業界の黎明期を担ってきた豊誠堂の姉妹のドラマもまだまだ続きます。


豊誠堂製菓舗
代表 上條登志子
創業 1951年
長野市三輪9-20-7 ℡026-241-5981

戦後食料難の時代におやき、和洋菓子、パンなどの製造販売店として開業。
店を引き継いだ初代の長女が製造、次女が営業を担当し、「おいしいものを届けたい」をモットーに、おやきと和菓子の店頭販売と県内外への卸し、地方発送も行う。アイデアに富むおやきが続々と誕生している。

美代子さん(中央左)、登志子さん(中央右)とスタッフ

価格 135円(税込)
生地 熱湯+中力粉(湯ごね)と冷水+中力粉+膨らし粉+砂糖(水ごね)の合わせ生地
   蒸かし

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