見つめるグリズリー

 9月、アラスカ山脈でグリズリーに出会った。山の斜面を横切るように歩く僕の遥か前方から、こちら方向に歩いてきていた。母グマと、子グマの兄弟が2頭いる。体毛に白髪が少し混ざった母グマはいかにも"熟練の母"と言った風格が出ていて、僕に気付いても完璧に無視していた。2頭の子のうち、1頭は母グマに付き従っていたが、もう1頭は僕に興味を持って、近づいてきてしまった。念の為明言しておくと、普段、彼らの動線の先で待って撮影するスタイルの僕は、自らクマに近づくことはない。
 子グマはわずか10メートルくらいのところ、斜面に飛び出た小さな岩に乗り、僕を観察している。母グマといるだけあって、その顔や動きには緊張感がなく、おかげでこちらも冷静でいられた。岩を降り、こちらに来たらさすがにまずいかな。そう思ってクマスプレーのロックを外した。ゆっくりと岩を降りた彼は僕にそろりと近づいたが、数十メートル先にいる母グマが「シュッ」と鋭く鼻を鳴らすと、「えっ」という顔をしたかと思うと、斜面を駆け登って母グマに追いつき、ピタリとついて離れていった。母グマは、余計な危険は犯すな、とでも言って、息子を呼びつけたのかもしれない。
 それにしても、野生の生き物は、よく観察する生き物だとつくづく思う。考えてみれば、それはそうだ。何が危険で、どちらの選択が安心できるのかを、おのれ自身で決断しなくてはならないからだ。彼らは自分の判断一つで命を落としかねない。失敗すれば長生きできない、もしくは種を残せない。ただそれだけのことだ。
 年を取るごとに責任を背負わないことが上手になっていくヒトも多い中で、彼らは自分の決断に自分の命そのものを背負う。だからこそ、雄々しく輝いて見えるのだろう。

岩の上に乗って僕を見つめるグリズリーの子ども。彼にとって初めて見るヒトだったのかもしれない
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