ムースのお目々

世界で一番大きなシカ、それがムース(ヘラジカ)だ。大きいものでは1トン近くになるものもいると言われている。イメージとしてはサラブレッドに一回り筋肉の鎧をつけた具合だろうか。
実は撮影にあたり、一番の緊張を強いられる被写体がムースである。というのも、ムースは感情が読みにくい。例えば、危険なイメージの強いクマは感情が表に出やすく、怖がっているとか機嫌が悪いとか、ヒトの喜怒哀楽の感覚で理解して概ね問題ない。
しかしムースは、なんというか、目が座っていて、何を考えているのかわからない。静かに草を食んでいるときなどはいかにも草食獣といった感じで穏やかだが、イライラしている時はかなりアグレッシブになる。目の前で、直径20センチほどの灌木をバキバキと角でひしゃげているのも見たことがある。ビジターセンターなどでは、「ムースがそばに来てしまったら、木立の中をジグザグに逃げなさい」なんてレクチャーを受けるのだが、すべての木をひしゃげられてしまったら逃げようもない。
彼らが出産するのは5月末~6月あたり。出産した直後のムース、あわよくば出産シーンが見られたらと思い、10日分の食料を持って森の中に入った。糞や食痕はあちこちで見つけたが、なかなか直接見ることができない。3日目の夕方、森の中の見晴らしの良いところに座っていると、パキパキと枝を踏む音が聞こえた。
「クマかな、ムースかな」
そう思ってクマスプレーに手をかけて見ていると、なんとリンクス(オオヤマネコ)だった。遠く、暗いところにいたため写真にはならなかったが、貴重な生き物との邂逅だった。そうか、リンクスももっと撮りたいなあ、なんて思っている時、「ブォッ」と重い呼吸音が聞こえた。わずか数メートル先だ。
ムースだった。子連れではなく、一頭でいるようだ。木々の隙間から、僕を見ている。ちょっと近すぎるか、とも思ったが、そのムースは慌てているような素振りもなく、僕を一瞥したあとはヤナギの新芽を美味しそうに夢中で食べている。ドキドキしながら体を観察する。それにしてもすごい筋肉だ。無駄のない、締まった体をしている。それに、目が美しい。まつ毛なんて、何センチあるかわからない。
ズームレンズでファインダーを覗くと、毛並みの一本一本まで艶めいていた。1カットだけ撮らせてもらおうとシャッターを切った。シャッター音のしないカメラだが、一枚撮ると、彼がこちらを向いた。その瞬間がこの写真だ。胸を射抜かれるような気持ちになった。
