北極圏生まれ

9月中旬、アラスカ北極圏のネイティブの村に向かった。フェアバンクスで6名乗りの小さな飛行機に乗り込み、1時間45分ほどのフライトだ。ユーコン川やブルックス山脈を超えて北へと向かっていく。
窓から見える景色は、空と地平線の境界の判別はつかないし、文字通り"果て"が見えない。そのあまりの見えなさには恐怖心すら芽生えるほどだ。アラスカ遠征に来た初めての年、徒歩でブルックスを縦断しようと歩き始めて、体調を崩して撤退したことがあった。こうして空から見ると、無謀なことに挑戦したものだと、自分で自分に呆れてしまう。
村に降り立つと、僕とともに運ばれてきた食材などを心待ちにしていた村民たちが、続々と飛行機の周りに集まってきた。それぞれが目的のものを受け取ると(中には50インチのテレビを受け取るツワモノもいた!)三々五々、村の中へと帰っていく。機内に持ち込めず、翼の中に収納してきたクマ用のペッパースプレーを待っていた僕が最後の客だった。
僕はパイロットに帰りの日程を告げて、滑走路から徒歩2分にある小さなスーパーに入る。
自分が背負っている食材はフリーズドライや乾麺などの乾物ばかり。何か今夜のメインディッシュになりそうなものはないかと物色していると、レジにいた店員が話しかけてきた。
「こんにちは。何を探しているの? ここは14時でいったん閉めるんだけど......」
体が大きく優しい声の彼は、グレッグだよ、と名乗り、のっそりと手を差し伸べた。
握手しながら、何かフレッシュな美味しいものをディナーにしようと思って、と答えると、
「それなら今日の飛行機で届いたこのハンバーガーはどうだい?パテが2枚あるし、君の体ならこれ一つでお腹いっぱいになるよ」
と教えてくれた。
ハンバーガーかあ...、と内心思ったが、閉店間際なことと、店の奥にある電子レンジも使って良いとのことで、ハンバーガーを遅いランチにすることに決めた。
お店の前で温かいハンバーガーを片手に地図を見ていると、お店を閉めたグレッグが出てきて、僕の大きなザックを見て驚いてみせた。
「ワオ、君はどこからきたの?そして、どこに行くの、そんな大きいザックでさ」
ブルックスに入るんだよ、写真を撮って10日くらいでここに戻ってくるよ、と話すと、さらに驚いた。
「急いでないなら、色々話を聞かせてよ。そこが僕の家だからさ」
彼はそう言い、親指で村の方を指した。
「君はどんなところで生まれたの?」「人口は?」「国際空港はある?」「毎日お米を食べるの?」「ピザはどのくらいの頻度で食べるの?」......
質問を浴びながら、僕らはグレッグの家へと歩いた。空は薄い雲に覆われていて、もう冬のような寒さだった。
家に着くと、彼はモンスターというエナジードリンクを冷蔵庫から出して、僕に渡した。
「テキサス州で数年過ごしたこともあるけど、生まれたこの村に帰ってきたんだ。意外とあのスーパーの稼ぎは悪くないんだぜ」
彼はニヤリとしながら話した。会話の中に出た「I was born here.」のワンフレーズが、ずん、と僕の胸に響いた。
ここで、生まれた。北極圏で、生まれ育った。
僕はなんとも言えないショックを感じていた。なんということだ。東京の町田市というところで生まれ育った僕と、あまりにもスケールが違う。オーロラの下で、小さい時から猟を手伝いながら、マイナス40度にもなる冬を越え、グレッグは育ってきたのだ。
いいなあ、ここで生まれたなんて。そう呟くと、
「そうだね、不便はあるけど、楽しいよ。魚もカリブーも獲れるし、ネットフリックスも見れるし。あ、もう暗くなりそうだから、ダイシ、今日はウチに泊まっていったっていいよ?」
グレッグはそう言ってくれたが、少しでも歩を進めておきたいから、と断った。
僕は、古い文化と歴史、それと新しい食文化やテクノロジーが入り混じった会話に多少頭が混乱していた。
そして、"北極圏生まれ"というワードが持つパワーに浸りながら、村を発った。
グレッグからは今も、「Azumenoe(安曇野)の天気はどう?」などのメールがくる。そのたびに、はるか数千キロ遠くにある彼の生まれ育った村が頭に蘇る。
