日常の中にある光

 広大なアラスカの大地を数百キロも季節移動することで知られる生き物、それがカリブーだ。年に2回の季節移動の時、数頭程度の小さな群れがいくつも集まり、最終的には10万頭もの群れになる。

 とある夏の日の夕暮れ時、僕はアラスカ山脈を歩いていた。細い稜線を進んでいたので、明るいうちに広いところをみつけてテントを張りたいなあと思って急いでいた。
 息を切らせながらふと、北側の斜面を見た。すると、今にも消えそうなほど細い光が、谷にわずかに注いでいる。この稜線を選んだのは、ちょうど夕日が注ぎそうな角度だと思ったからだ。この山域は正解だった、そう思って嬉しくなった。
 眺めていた視界の中に、妙な違和感を感じたのはその時だ。200メートルほど先だろうか、光の中にわずかだが動きがある。カメラで覗くと、原野を彷徨っている1頭のカリブーが斜面に当たる細い光を浴びて立っていた。動きの正体はカリブーだったのだ。
 ああ、急がないと、光が消えてしまう。
 バタバタと準備をし、持っている一番望遠のレンズを据え付け、しゃがんでファインダーを覗く。僕のいる場所はもう陽が当たっておらず、地面についた膝が冷たい。
 ドキドキしながら覗いたファインダーの先。思わず声が漏れた。
 カリブーからしたら、ただそこにいるだけで日常の中の一コマなのだろう。しかし僕にはステージで光を浴びるスターのように見えた。手ブレせぬよう息をとめ、何枚かシャッターを切る。
 ものの数秒後、シュンと音を立てるように光は消えた。カリブーも斜面の奥へと消えていった。
 僕はその稜線にテントを張ることに決め、しばらくの間、暗くなっていく谷を見つめていた。1頭のカリブーの何気ない日常を見られた深い満足感と、写真に残せた大きな達成感があった。

 日常とは、それぞれの場所で何気なく流れていく"当たり前"の時間の堆積なのだろう。厳しくも甘い日常の中では、自分の周辺にある出来事を当然のことのように錯覚してしまうことが多い。しかしどんな日常であっても、それが日常でない何者かにとっては美しく見えることもある。そのことをいつも心の片隅に携えていたい。

まだ雪の残る斜面を登るカリブー。「ブファッブファッ」と鼻息を荒げながらも、ものすごいスピードで登っていく。当たり前だが、人間の足で追いつくことは不可能だ。1日に何十キロも歩く彼らの肢体は引き締まっていて、いつも見惚れてしまう。
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