太古からの命

 信州の方ならおなじみの雷鳥。この鳥は、アラスカ山脈の中央部、標高1600mほどのところで出会った雷鳥だ。

 この日、僕はザックをふたつ担いで尾根を登り、息を切らして岩稜帯にたどり着いた。
 岩に腰を掛け休んでいると、何か違和感があった。原野での違和感は大切なシグナル。この違和感はなんだろう。
 「何かからの視線かな」
 そう思い、周辺をじっと見る。
 "見る"にもいくつかパターンがあって、アラスカでの僕は、大きく分けてふたつの"見る"を使い分けている。
 ひとつは、見るともなく視界全体を見ること。ぼんやりと見るとでも言おうか。もうひとつは、一箇所だけ、一部分だけを注視するパターンだ。この時は後者。岩稜帯の中の変化を見ようと、20~30メートル先を注視し、少しずつ少しずつ視点を移動させていった。
 しかし、5分経っても10分経っても、違和感の元となるものは見つけられない。気のせいだったのかなあ、とも思ったが、こうして気を抜いた瞬間に思わぬ出会いが多い。きっと、いや、確かに何かいるはずだ。直感と経験則を信じて周辺を再度 "見"て、探索する。
 そして、やはり見つけた。なんと、わずか1・5メートルほど先。この雷鳥がじっとしていたのだ。あっ、と思わず声が出た。
 「こりゃ近すぎるな」
 そう思って距離を取る。慌てて動いて岩を転がしてしまったが、彼はその騒音を気にも留めていないようだった。
 しばらく観察していたが、雷鳥は大きな岩の前に陣取って全く動く気配がない。僕は三脚とロープを使って、その大きな岩の上からカメラを吊り下げて撮影することにした。

 岩の上には強い風が吹いていた。吊ったカメラがガンガンと岩に当たる。ああ、カメラは大丈夫だろうか。ずいぶんと肝を冷やしたが、カメラはなんとか彼のそばに到達。すばやく撮影を済ませ、すぐにカメラを引き上げた。今となっては笑い話だが、カメラが手元に戻った時、雷鳥に感謝するより先に傷だらけのボディに謝罪した。

 この雷鳥が何をしていたのか、何を考えていたのか、僕にはわからない。しかし、マンモスやジャコウウシたちと共にはるか数万年も前からこの土地に生き、脈々と種を紡いできた凛とした姿は、ただ美しかった。僕も彼らと同じように、一つの命を全うしよう。そう思える出会いだった。

こちらはカラフトライチョウ。アラスカの雷鳥は春になるとつがいになる。アラスカにも雷鳥がいるの?とよく聞かれるが、雷鳥はアラスカの州鳥でもあり、特にカラフトライチョウであれば道路沿いでも見られるほど一般的。むしろ 「日本にも雷鳥がいるの?」というのがグローバルスタンダードだ。 日本はライチョウ生息地の世界の南限なのだ。
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