ナキウサギのいる谷

 日本の4倍も大きなアラスカ州。その中央南部に、デナリ山(旧名マッキンリー)を携えるアラスカ山脈がある。600キロにもわたる山脈を地図上で日本の上に置いてみると、東京から北は青森まで覆ってしまう長さだ。アラスカ山脈には数え切れないほどの山や谷があり、多種多様な動植物が暮らしていて、ヒトもわずかだが住んでいる。
 アラスカ山脈に綿々と連なる山と谷。ある日、僕はその中の「イーストフォーク峡谷」という1本の谷にフォーカスした。ネットで「alaska range eastfork」と検索してもらえたら、概ねどの辺りかわかると思う。
 イーストフォーク峡谷を流れる川の下流側(地図でいう上)を見て左手に、標高2000m程度の山がいくつかある。その山から流れてくる名もなき沢にアプローチして、上流へ歩く。足首~スネくらいまで深さを数時間もあるけば、左右にいくつもの尾根や谷が現れる。ナキウサギがいるのは、10本以上の谷を超えた先、30m四方くらいの岩場だ。

 そこは、両手で抱えられるサイズの岩から巨岩まで、ありとあらゆる大きさの岩が地面から突き出るように顔を出している。「ぷうぷう」とナキウサギの鳴き声が聞こえたら、いつものように辺りを見るともなく見る。すると、僕の視界のどこかの穴や岩の隙間からサッと出てきて、周辺の草を食べ始める。なんとも可愛らしい姿だ。
 よく見ると地面には直径3~5センチ程度の穴がいくつも空いていて、岩と岩が重なっている部分の隙間にも、ナキウサギが出入りした跡が見える。草を食べているそいつは、僕がちょっと動いただけで驚いて穴に戻ろうとするのだが、じっとしているとまた出てくる。僕の様子を見に来る好奇心の強いやつもいた。秋になると、小さな巣穴に食料を大量に貯蔵して岩の下で冬を越える。このナキウサギも、ヤナギの葉を何度も何度も巣穴に運んでいる最中だった。あんな小さな体でなんてたくましいのだろう。

 こうした岩場には、ナキウサギのほかにもマーモットや地リスなどが住んでいる。オオカミやクマ、ワシなどに襲われないよう、岩の下を棲み家にしているのだ。強風にテントが飛ばされたことがある僕としては、雨風の影響を受けない暮らしはうらましい限り。しかし、冬になると全てが雪に埋もれてしまうのだから、地中の生活も決して楽なわけではない。それも、半年に渡って、雪の下の生活が続く。
 それぞれの生き物が、生きるのに都合が良い場所を選ぶことが自然なことだ。この谷の30m四方の岩場で生まれて、子孫を残して、わずか数年で死んでいくナキウサギたち。そんな小さな営みを育む小さな谷が、広大なアラスカの中にあり、僕が暮らす日本と同じ地球上にある。僕にはやけに神秘的に感じた。

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