静謐な朝 ータイムラプスを撮る その6

 急な来訪者があったのは深夜だった。ブォフ、ブォフ、と大きな鼻息が聞こえた。おそらくムースかグリズリー。かなり大きな体の持ち主のようだ。起き抜けは低血圧な僕だが、一瞬で目が覚めた。どちらもいきなりテントを潰しにかかることはまず100パーセントないのだが、何かあった時の反撃用に枕元のスプレーを手に取る。
 テント越しのヘッドライトでは、10mほど先までしか照らせないのだが、ベンチレーションから外を覗いた。ベンチレーションを引っ張ると180度近くまで見渡せる。しかし何者も見えない。ツンドラがふかふかなおかげで足音も聞こえない。
 1分後くらいか、鼻息はもう聞こえなかったが、確認のためテントの外に出た。鼻息のした方を照らして歩いたのだが、姿はもう確認できなかった。湖畔を歩いていたムースかグリズリーが不審なテントの様子を見に来たのだろう。当時の日記に時間の記載がないのだが、「そのあと2時間眠れなかった」のメモから考えて、逆算すると朝4時頃の出来事だと思われる。
 数分経って緊張感が緩んだ頃、空を見上げた。星は雲の隙間からごくわずかしか見えなかった。オーロラは?とも思ったが、オーロラ撮影は体力を使うので、今日はまだだと気にしないようにして、寝袋にもどって朝を待った。
 6時頃、白んできた外に出てみると、変わらず無風だった。
 あ、と思って湖畔に向かうと、そこには鏡のように北極圏を反射する湖面。カメラを取りにテントに戻り、撮影する。
 ああ、なんて静かで綺麗な光景なんだろう。晴れやかな気分でシャッターを切った。光は強くないが、アラスカらしい、始まりや終わりを感じさせないしなやかさと、荒涼とした寂しさを携えた1枚になった。
 撮影がひと段落すると、はっと我に返る。
 まだまだ先は長いのだ、ゆっくりしている時間はない。体力が残っているうちに歩を進めなくてはいけない。テントを片付け、えいやっとザックを背負う。一晩明けて、パンパンに張った肩と首が痛んだ。
 こんな痛みすぐ落ち着くから、と自分を励ましつつ、湖の周りを2時間近くかけてぐるりとまわった。さらにそのあと、「まるで尾瀬みたい」と日記に付けた湿地帯を抜ける。時折ブーツの上まで埋まりそうになるほど足元はぬかるんでいた。標高差の少ない真っ直ぐな道なのに、階段を上っているように膝を高く上げる必要があり、良好な視界に反して体力を消耗した。ここには数本カリブーのツノが落ちていた。

 "尾瀬"の先は、山に登ることになる。チョコとナッツを食べてエネルギーを補給した。1時間も登ると、急になってきた。直登できれば早いのだが、リスクが高そうなのやめる。
 急な斜面の右方向にある、緩い斜面を選んで斜めに横切るように歩いていく。この山に入ってからの数時間は、藪も少なく地面が固くて歩きやすい。冷たい風が吹き始め、少し休憩すると汗をかいた背中が氷のように冷たかった。昨日とは別の谷が右手の眼下に広がり、そのはるか遠くではドールシープが草を食んでいた。

カリブーの角。彼らの角は毎年生え変わる。僕の視界に入るのは多くて1日に数本だが、僕の気づかないところにたくさん落ちているのだろうと思う。
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