分厚い雲の下で ―冬のアラスカを撮る その4

 写真展や講演などで「撮影地まで何日もかけて歩いている」という話をすると、「その時、何を考えて歩くんですか?」とよく聞かれる。
 歩いている間もいろいろ考えることはあって、なんとも答えづらい。撮影のことや生き物との邂逅をイメージして撮影の戦略を立てることもあるし、思いついた原稿をメモしたり、写真展にはこんな言葉を添えようとか、帰国が近ければ帰ったら寿司を食べようとか、ベーグルベーグルに行こうとか、次にネット環境に戻ったらあの人のメールに返事しなきゃとか、日本にあるマイカーのガソリンってどんくらい残ってたっけ?なんて意味のないことを考えることもある。

 その日は、何かを考えたり考えなかったりしながら歩き、夜中の24時前、広い場所を見つけてテントを設営することにした。そういえば、西表島に住む友人は12月の安曇野で寒い寒いと半狂乱になっていたが、彼がここにいたらどんなリアクションをするのかななんてことを考えて笑ったりした。
 途中からスノーシューを履いていたので、テントがちょうど張れるように、2メートルちょっと四方をスノーシューで踏み固める。ふと思い出し、オーロラジャケットを着た。寝るまでの間に、着ているインナーを自分の体温で乾かしたかったのだ。
 テントを設営し終え、ブーツを脱いで中に入った。50ミリの厚さのある裏起毛のエアマットを敷いたおかげで、雪面からの冷気は全く感じない。余分に燃料を持ってきてあるので、ストーブ代わりにバーナーに火を点けた。火を見ると落ち着く。そんな生き物はヒトくらいだろうかなどと思う。でもきっと横に犬がいたら落ち着いた表情をするんだろうな。テント内が温まり、気持ちがひと段落したところで、フライパンに雪を入れて溶かしてお湯を作った。まずはポットに満タンにして、さて夜ご飯でも食べようかと食料コンテナをのぞく。結局、いつも通りラーメンにした。僕はアラスカでは "ゆでる" 調理法しか持たないことにしているので、ラーメンやパスタがアラスカでの定番だ。フリーズドライの野菜をたっぷり入れて食べると、案外リッチなラーメンになる。
 リッチなディナーの湯気でテントの中もメガネも曇ったが、カメラだけは防水バッグに入れた。ちなみに、翌日の撮影中に日が射すと、気温差でカメラ内部が曇ってしまうことがあるので、カメラは防水バッグに入れたまま寝袋に入れて一緒に眠る。インナーもバッチリ乾いたし、外をのぞけばしっかり曇っていたので、オーロラ撮影のスイッチは入れなくて済むな、と安心して眠った。オーロラが出ると、夜通しの撮影になってしまい、体力配分の難易度が上がってしまう。腕時計にはマイナス20度(摂氏)と出ていた。

 翌朝、テントから顔を出し外をのぞいてみると、かなり分厚い雲に覆われていてどんより暗い。曇りにレベルがあるならこれは最高レベル、いや漢字にしたら最厚(サイコウ)か、ウマイッ!、いや大してウマかないか、日本人にしかわかんないし、などと一人でブツブツ言いつつ、テントブーツを履いて外に出てストレッチする。昨夜はオーロラジャケットのダウンだけ着て寝たのだが夜中に寒くなり、アウターも着けた。顔周りのファーが暖かった。冬は自分の呼気に含まれる水分で、寝袋やテントの内壁が凍ってしまうのだが、ファーは凍らずにいてくれるのが嬉しかった。それと、想像はしていたが、やはり、"夜が暗い" ことが嬉しかった。
 夏のアラスカは白夜の影響でいつまでも明るく、疲れていても "夜" が来ない。明るい夜に体が対応できず眠ってくれないことがあるからだ。冬は確かに寒いけれど、装備があればその問題はクリアできる。冬のアラスカもいいなと思えた瞬間だった。ベーグルを温めて食べて、再び荷造りをし、歩き始めた。
 汗をかいたり乾かしたりを繰り返し、その日の夜、谷にも尾根にもアプローチできそうな場所にテントを張った。朝起きて周辺を見渡すと、稜線も見渡せるし、その反対側には川があるのでひらけており、見通しも効くので数日の間のベースキャンプにすることにした。ベースキャンプを決め込むと気分がよくなって、夏にはあまり持ち歩けないビーフジャーキーを食べた。まだ大した写真も撮れてないから一切れだけ、と決めたが、結局何枚か食べてしまった。
 明るくなってから、谷の中に降りてみた。凍りきっていない川に片足が落ちるハプニングもあったが、おかげで凍りゆく川の内部までアプローチでき、形容し難い妖しさを撮影できた。しかしこの日は、僕を見にきた小さな鳥以外の生き物には出会えず、相変わらずの曇りでオーロラも撮れなかった。
 次の日、尾根にアプローチしたが、これが本当に大変だった。大きなスノーシューを付けていても1メートル近く沈んでしまい、雪の中を泳ぐように2時間も歩いた。その後、振り返ってみるとテントがすぐそこに見えるじゃないか。まったく、これにはガックリと肩を落としてしまった。それでも得たことは、オーロラパンツにスノーカフスが付いているおかげで雪がブーツ内に侵入してこないこと。これには助けられた。
 
 しかし、この日も生き物にもオーロラにも出会えなかった。翌日テントの場所を1~2キロ移動しつつ、毎日新たなトライはしてみたが、大した撮れ高は上げられない。はあ、そろそろ捨て鉢な気持ちになっちゃうぜ、と感じ始めていた。
 なにせ1日外を歩いても何者にも出会えないし、やっとのことでずっと向こうにムースを捉えても、そこまでアプローチすることができない。ズームレンズを使えば写すことはできるが、そのような写真は発表の機会もないだろう。自分の情けなさより、この環境でいつも通り生きられる生き物に対して、あいつらすげえ、と思った。そういえば、ムースは足が長い生き物だなあと思うことが何度もあったが、この深い雪の中でも生きられるように適応したに違いない。
 「くそー、野生の生き物とのフィジカルの差が大き過ぎるぞ」
 歯がゆい。しかし効率的な撮影を求め始めると自分の伝えたい写真とかけ離れていく怖さがある。なんとかこの山脈の真ん中で彼らと出逢いたいのだが。悶々としながら数日が過ぎていった。

拠点にしたテント。テントはいくつも持っているが、これにしたのにはとある訳があるのだが…。そのエピソードは後半に。
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