地下足袋でツンドラを歩く―白夜を撮る その3

 23時を過ぎても深夜2時を過ぎても、夕日のような明るさがあるので、気づくと朝4時まで運転してしまった。眠気は感じていなかったが、体を休ませねば、と川沿いに広くなっているところを見つけて車を止める。後部座席に作ったベッドに潜り込んで、寝袋を掛け布団のようにかけた。作りたてのベッドの寝心地は最高だ。寝返りを打つと少し脚がぐらついたから、今度街に戻ったら補強しよう。
 車内に蚊が入ったらしく羽音が気になったが、数時間仮眠を取ることができた。クマの心配もなく眠れるなんて、車はなんともありがたい存在だ。目が覚めたら外に出てストレッチをしてから、また北上を開始した。いつの間に曇ったのか、空は北半分が真っ白な雲に覆われている。3日後の夏至の日は、晴れてくれるといいのだが。
 フェアバンクスから300キロほど北上すると、ブルックス山脈が見えてくる。400キロ走るとこの山脈の真ん中あたりを通過し、500キロを超えると山脈を乗り越え、北極海に向かってなだらかなツンドラになる。今回目指していたのはこの辺りだ。
 ブルックス山脈の北限。この辺りで山頂から24時間、日が沈まない現象 "白夜" を撮影したかった。常に地平線の上にある太陽の動き、生き物の暮らし、北極圏の花々。日本とは違う時間が流れているであろうこのエリアのできるだけ奥まで入り込んで撮影したい。左右を見ながら運転していると、地図と変わらなそうな谷筋が一カ所あった。地図通り行けば、この谷筋の10キロほど先で稜線にアプローチできそうだ。まずはそこへ入ることにした。

 人目につきにくい場所を探して車を止め、早速準備を始める。まずは1週間ほどの機材と装備、食材の用意だ。特に迷ったのが足元の装備。川を渡ることも岩歩きも、雪歩きの可能性もある。しかし、昨年、靴を幾つも持っていって犯した失敗の経験から、それは避けたいと思っていた。
 遠くの稜線を望遠レンズでのぞくと、残雪が見えている。やはりトレッキングシューズがベターかなとも思ったが、今回は渡渉が確実にある。それならば1足で済むように、日本から持ち込んだ地下足袋で挑むことにした。雪はあの量なら避けながら歩くこともできるだろう。
 運転席の窓に「1週間で戻る」とメモを貼り、車のバッテリーが上がってしまわないように外して鍵をかけたら準備はOK。まずは緩やかな登りを西南方向へと向かう。久々に踏むツンドラは相変わらず柔らかい。地下足袋にしてよかった。この時はそう思っていた。
 足元には初夏の花が咲き始めている。2、3時間も歩くと、前後に背負ったザックが食い込んで、20分連続して歩くことも難しくなってくる。しかし、しっかりと休憩することはそれはそれで難しい。というのも、この時期のツンドラには無数の蚊がいて、立ち止まればすぐに蚊に包まれてしまうからだ。虫除けネットはしているし、暑さに耐えて上下のレインウェアも着用している。それでもどこかからか入ってきて、首や手首などあちこち噛まれる。手ぬぐいを体の周りでぶんぶん降り回しながら、時折立ち止まって息を整え、「みぎ」「ひだり」と声に出しながら、一歩ずつゆっくり止まらずに進んだ。
 ネット越しの視界のどこを見ても広がるツンドラ。その果てを見つめてしまうと、なんだかとても小さく無意味なことをしているような気持ちになってしまった。モチベーションを下げたくないので、足元を見ながら、「みぎ」「ひだり」のリズムを刻み続けた。

地下足袋の鼻緒のように足元に咲く初夏の花。
歩いても歩いても景色が変わらないのはアラスカのスタンダードだ。
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