芦部信喜 平和への憲法学

靖国懇談会 議事録が存在 芦部氏らの違憲論脇に

 中曽根康弘内閣の1984(昭和59)年から85年にかけて開催された官房長官の私的諮問機関「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」(靖国懇)の議事録が存在していていたことが2日までに分かった。議事録は当時の国会で公開を求められたが政府は非公開が前提の会議として応じず、作成されたかどうかも不明だった。信濃毎日新聞が情報公開法に基づき内閣官房に開示請求していた。議事録からは委員の憲法学者、芦部信喜(のぶよし)氏(1923~99年)=駒ケ根市出身=らが憲法の政教分離の観点から違憲論を主張したにもかかわらず脇に追いやられ、公式参拝を政府に促す結論に向かう過程が浮かぶ。

 懇談会は各界を代表する15人の識者が戦後初めて首相らの靖国神社公式参拝の是非を本格的に検討した。開示議事録について、渋谷(しぶたに)秀樹・立教大大学院教授(憲法)は「初めて見る資料だ。憲法に関わる政府の重大な意思決定のプロセスを知ることができ、非常に意義深い」と話している。

 開示されたのは、21回の会議のうち第2回から第12回まで11回分の議事録で計644ページ。その他の回の議事録は探したが見つからない「不存在」としている。

 議事録によると、第2、3回は事務局配布の資料説明とその質疑が中心で、第4回から自由討論に。芦部氏は「公式参拝が憲法上許されるかという点に重点を置いて検討すべき」と議論の進め方を提案。第7回で「憲法20条(政教分離の原則)の解釈としては閣僚の公人としての参拝には大きな疑義がある」と違憲論を展開する。

 このほか同回までに憲法学者の佐藤功氏、元最高裁判事の横井大三氏、作家の曽野綾子氏が違憲または政教分離違反と主張しているのが確認できる。  第7回では、この懇談会で統一見解を出すのか委員に問われ、事務局の藤森昭一官房副長官は「一つの結論を多数決等の方法によって出していただくということが必ずしも期待されているわけじゃなしに」と答えている。

 ところが、事務局が作成し、同回の最後に説明した論点案はこれらと異なる方向性が示されている。

 最初に議論するのは「公的立場にある者の戦没者の慰霊・追悼」で、憲法問題はその後に置かれた。さらに「結論的な論議」として「閣僚の靖国神社参拝はいかにあるべきか」と、参拝を前提とした柱が立てられていた。

 第9回で佐藤氏が「結論が最初に出てきてしまっている」と異議を唱えるが、元内閣法制局長官の林修三氏(座長代理)が「公的立場の者がそこ(靖国神社)に行く形式自身として何らかの方法があるか…そういうところから(議論を)始めてもいい」と答える。

 事務局は論点案の修正を重ねるが基本的な柱立て、順番は変わらなかった。

 懇談会は初会合から1年後の85年8月9日、報告書をまとめ藤波孝生官房長官に提出。津市の地鎮祭訴訟最高裁判決を引き合いに「政教分離原則に抵触しない何らかの方式による公式参拝の途(みち)があり得る」と指摘。「(政府は)公式参拝を実施する方途を検討すべきである」と結論付けた。芦部氏らの違憲論は「付記」にとどまった。

 これを受け6日後の終戦記念日、中曽根首相は戦後の首相として初めて靖国神社公式参拝に踏み切った。(2019年5月3日掲載)

(編集委員・渡辺秀樹)