安曇節 劇で伝え…創作者を熱演 松川小6年ろ組



榛葉太生さん役の子どもが弾くまねをするバイオリンの音に合わせ安曇節を踊る子どもたち

 北安曇郡松川村の松川小学校6年ろ組の38人は11日夜、住民に愛されている村無形文化財の民謡「安曇節」の創作者、榛葉太生さん(1883―1962年)の人生をまとめた創作劇を、村公民館で上演しました。榛葉さんが安曇節を作った経緯や思い、普及の努力などを伝える1時間半の劇を全員で演じ、約200人が熱心に観賞しました。

 安曇節は1923(大正12)年に発表され、7・7・7・5調の歌詞で村の自然や風習を歌っています。「日本アルプスどの山見ても冬の姿で夏となる」など、榛葉さんのほか多くの住民たちが作詞し、その数は数万首にもなるそうです。

 子どもたちは4年生のときの運動会で初めて安曇節を踊ってから、安曇節の勉強やお年寄りの前で踊りの発表を続けてきました。劇は、勉強を支えてくれたお年寄りや「安曇節保存会」の人たちへ感謝の気持ちを伝えるために作りました。

 脚本は子どもたちの考えを基に担任の高橋俊先生(31)が作り、昨年秋から毎日のように練習をしてきました。本番では、明治や大正時代に合わせた衣装や小道具を使い、当時の村の様子がよく伝わるように工夫しました。

 子どもたちは劇で、榛葉さんが松川小を卒業後に村唯一の医師となって住民に親しまれた様子、不況で住民が落ち込んでいるとき、村の自然の豊かさを歌って元気になろう―と、民謡づくりを住民に呼びかけたことなどを演じました。また、安曇節の普及に一生をささげた榛葉さんが亡くなった場面の後、「この曲を踊ること、歌うことは、この村と村の人たちを愛することにほかならない」と訴えました。

 子どもたちは榛葉さん役を4人で分担して演じました。榛葉さんを演じた1人の牛越涼太君(12)は、「榛葉さんは村のことを誰よりも愛していたと感じたので、演じることに責任を感じた」と話していました。

 劇を見た保存会の女性(68)によると、会員の高齢化や安曇節を踊る子どもの減少で、年々保存が難しくなっているそうです。村人を演じた松山ひかりさん(12)は「安曇節が伝える村の自然や生活の大切さをもっと多くの人に広めるため、またみんなで劇を演じたい」と話していました。


子どもたちは村教育委員会の助けを借り、音響にも挑戦した

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