二度と洗面器を被るまい
世の中には子どもを躾けるために語られる迷信がある。
有名なのはもったいないお化けだ。食べ物を残すと夜中
「もったいない~もったいない~」と言いながら枕元に立つお化け。
子どもの頃に母が耳元でささやく、もったいない~、という掠れ声を聞きながら、半泣きでピーマンを飲み込んだ記憶がある。
同じく子どもを躾けるための迷信ばなしの中に、
「洗面器を頭に被ると背が縮む」というものがある。
洗面器ではなくザルやカゴとも言われているが、わが家は洗面器だった。5歳位の頃、疑いなく信じていた。
ある日のこと、俺は欲しいおもちゃを買ってもらえないという理由で憤っていた。どれだけ懇願しても首を縦に振らない母に、しびれを切らし風呂場へと走った。そして洗面器を抱え、母の目前で被ってみせたのだ。
「このまま被り続けたら俺、縮んで消えてなくなっちゃうけどいいの?」
自らを人質にし、こめかみに銃口を突きつけ、警察と渡り合う犯人さながらの姿。
そこには愛されているという自負と、それを逆手にとるあざとさがあった。
母は
「わかった、わかった、じゃあ日曜日ね」
と言い、洗面器を頭から外した。
やったー! と喜ぶ俺。しかしそれを快く思わないのは姉だ。弟ばかりズルいと思っていたのだろう。機嫌よくご飯をかき込んでいると、姉が目をまん丸にして
「あんた...ちょっとずつ背が縮んでない? 今頃になって効いてきちゃったんじゃないの」
と言った。今思えば大根役者のそれだったが、幼い俺は信じ込み
「...本当に?」
と、箸を置いて慌てて鏡の前へ走った。
不安により冷静さを失った目には確かに、体が縮んでるように見えた。心臓がバクバクと鳴り始める。
やばい、このままじゃ縮んで消えてなくなってしまう。
追い込まれたアフロ少年が絞り出した策は、洗面器に乗る、ということだった。
逆転の発想、被ったら縮むということは、乗ったら伸びるのではないか。
戻れ! 戻れと半ベソをかきながら桶の部分に脚を入れ、立ち続ける。それを見て
「あ、伸びてきた!」
と母が言う。姉はニヤニヤと笑っている。
「本当に!?」
と何度も確認し、ようやく安堵した俺は母に抱きつき、もう二度と洗面器を被るまいと誓った。
今振り返り子どもの純粋さを弄ぶなんてひどいな、と思いつつ俺も親になったら似たようなことをするとも思う。超楽しそう。
【写真説明】2021年6月、北海道でのライブ後にて
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