手洗い二度目 母を思う
感染対策が不十分な状況で開催し、世間を騒がせた愛知の野外フェス「NAMIMONOGATARI(波物語)」。その波は長野の実家にも及んだ。長男がラッパーをしていると知る近所の人が、母に
「息子は波物語に出てたんか?」
と尋ねたらしい。
ラッパーという括りで印象がつき、語られるのはいつものことだが、それに対し母が
「うちの息子に波の要素あるか! どうみても山だろ!」
と言い返したことに関しては、MCバトルのようだな、という新鮮な感想を持った。
そして父からは
「大変なことになってるな、海物語」
というメールがきた。こちらはパチンコのやり過ぎだ。そんな連絡を東京で受け取りつつ、俺は飲食店のお手洗いにいた。
時節柄、飲食店に入ったら先ずは手を洗う。ハンドソープをプッシュし、指の隙間、手首、香るシトラスフルーティがウイルスを追い回し一網打尽。死に際に嗅ぐ香りがこれならば、ウイルスもきっと安らかに眠れることだろう。
しかし手を洗い終わる頃、ウイルスとは違った脅威が身体に迫り来る。いや、実際は蛇口を捻った直後から気配を感じていた。しかし気付かないフリをした。
きっと気のせいだ。
そう言い聞かしやり過ごそうとするも無念、ついに確信として現れる。
その名は尿意。
なんてことはない、トイレにいるのだから用を足せばいいじゃないか、とお思いだろう。その通りなのだけど、どうしたって「せっかく手を洗ったのに!」という気持ちは拭えない。先に済ませておけば手洗い一回で済んだのに。
苦し紛れに、綺麗な手で触れられる股間が「やったぁ! 清潔だぁ! シトラスフルーティだぁ!」と大喜びするイメージを浮かべながら用を足す。お前が喜んでくれるならそれでいいよ、と心の中で声をかけつつもやはり、要領が悪いなぁ、と思う。
蛇口からの水流を見て、連想し条件反射で尿意が起こるのだろう。
渋々、二度目の手洗いをしながら考える。
水を見たらやってくる尿意のように、音楽が鳴れば踊り、叫び、はしゃぎたくなる人の性のこと。その激しさ、美しさのこと。そして、今もし自分が仕切るライブでそれが起こった時にはマイクで制さねばならないこと。
「やめろ!」
と言った後のお客の表情を想像する。みぞおちあたりが苦しくなる。
それでもどちらか一つを選ばねばならないとしたら、俺は一瞬の狂気ではなく、永く続く正気を肯定したい。
なんてことを考えている男の顔が鏡に映る。眉間が切立つ山肌のようで、さすが母親だな、なんて思った。
【写真説明】2021年9月、埼玉でのライブにて。 PHOTO BY MAYUMI -kiss it bitter-
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