良かれと思っての言葉
温泉旅館での部屋食にアワビの踊り焼きが運ばれてきた瞬間、彼女の顔が強張った。動いている魚介を食べることに抵抗があるのだ。しかし仲居さんは
「踊ってますね~! 逃げないように噛み締めて下さいね!」
と軽妙なトークを繰り出す。
その明るさに反し、彼女の眉間のシワの窪みは深くなる一方だ。それを横目で確認しつつ、俺は大いにはしゃぎ「うおー!」とか「ひゃー!」とか声を上げる。
仲居さんが部屋を出ていくと忌々しげに
「私が苦手だって知っててよくそんなはしゃげるよね」
と彼女が口をすぼめた。慌てて
「いや、良かれと思って言ってくれてるんだから、二人して不貞腐れているわけにはいかないでしょ」
と言い返す。
『良かれと思って』
その言葉を口にしながら思い出したのは、10年ほど前の地元上田のショッピングモールでのインストアライブだった。CDをリリースし、凱旋ライブだ! などと意気込みも虚しく、見に来たのは友人数名と親戚だけ。客席はかなり寂しい状態だった。
それを見かねた催事担当のおじさんがマイクを使い、買い物に来た一般客に向けて
「今、大人気! 紅白出場も間違いなし! 地元が生んだ大スター! MOROHAがまもなく登場! どうぞみなさんお集まり下さい!」
と白熱のアナウンスを繰り返した。
良かれと思って、言ってくれたのだろう。だが当時の我々はフェスやテレビ、ラジオへの露出もなく知名度は皆無。あまりに分不相応で大袈裟な宣伝文句に、通り過ぎる人達は白けた視線を向けて去っていき、親戚友人さえも気まずそうにしていた。
開演時間を迎えステージに立った俺はいつも以上に必死になった。でもそれは前向きな気持ちではない、恥ずかしさを振り切るためだ。身内ばかりの客席が恥ずかしかった。何よりあの宣伝文句を引き受けることができない自分が恥ずかしかった。
そんな苦い過去を振り返りながら、彼女の冷ややかな視線を浴びてもなお踊り続けるアワビを見つめ思う。このアワビは、あの日の俺だ。熱い気持ちが込み上がる。
「がんばれアワビ! 力の限り、踊り切れ!」
渾身のエールを送る俺の前に、今度は活き造りが運ばれてくる。ピクピクと動く刺し身をテーブルに並べ、仲居さんは
「これだけ新鮮だと、おなかの中でも動くかもしれないですねえ!」
と言った。
それを聞いて思う。さすがにそれは俺もイヤかも。
うーん、良かれと思って言ってくれてるんだろうけどなあ。
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【おしらせ】祝!「俺が俺で俺だ」掲載20回 連載の感想、MOROHAへのメッセージ・質問を募集
本コラムが、ちょうど20回を迎えました。MOROHAは来年2月11日、日本武道館での初の単独ライブを控えています。そこで連載への意見、感想、MOROHAの2人へのメッセージや質問などをお寄せください。1月の弊紙芸能面で紹介します。氏名(ペンネーム可)、年齢、連絡先を明記し、信濃毎日新聞社文化部「芸能面」係(メール geinou@shinmai.co.jp)へ。
【写真説明】2021年10月下旬、伊香保にて
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