全日本スプリント=男子五百 35秒台清水、五輪へ加速



男子五百メートル 35秒88で優勝した清水宏保選手

 スピードスケートの第二十四回全日本スプリント選手権最終日は二十一日、長野市エムウエーブで短距離の長野五輪代表権を激しく争った。男子五百メートルで35秒88の国内最高記録をマークした清水宏保(三協精機)が四季ぶり二度目の総合優勝。女子は岡崎朋美(富士急)が二日間で3レースを制し、二季連続優勝を果たした。

 男子千メートルは今井裕介(山梨学院大・佐久長聖高出)が1分12秒17の国内最高で快勝。初日を制した清水が0秒06差で続き、野明弘幸(県教員ク)が3位で、県勢が表彰台を独占した。男子五百メートルで2位に入った黒岩敏幸(ミサワホーム)が総合2位に入った。

 初日で総合トップに立った女子の岡崎は、五百メートルを38秒99の国内最高タイムで圧勝し、千メートルも1分19秒50で制した。五百メートル、千メートルとも三宮恵利子(富士急)、島崎京子(三協精機)が2、3位と続き、総合も同順位だった。

<男子>

 ▽500メートル(〇は大会新)

(1)清水 宏保(三協精機) 〇35秒88

(2)黒岩 敏幸(ミサワホーム)36秒31

(3)山影 博明(王子製紙)  36秒48

(4)井上 純一(西武鉄道)  36秒60

(5)加藤 将司(三協精機)  36秒67

(6)羽石 国臣(栃木県連盟) 36秒70

 ▽1000メートル

(1)今井 裕介(山梨学院大)〇1分12秒17

(2)清水 宏保(三協精機)  1分12秒23

(3)野明 弘幸(長野県教員ク)1分12秒68

(4)笹渕 峰尚(日  大)1分12秒85

(5)黒岩 敏幸(ミサワホーム)1分12秒98

(6)宮部 行範(三協精機)  1分13秒17

 ▽総合得点

(1)清水 宏保(三協精機)〇144.935

    500メートル=1回目36秒69

            2回目35秒88

   1000メートル=1回目1分12秒50

            2回目1分12秒23

(2)黒岩 敏幸(ミサワホーム)145.905

(3)井上 純一(西武鉄道)146.365

(4)宮部 行範(三協精機)146.560

(5)山影 博明(王子製紙)146.695

(6)西岡 和哉(専  大)146.850

 【評】五百メートルで清水が国内初の35秒台に突入した。スタート直後から低い滑走体勢に入り、100メートルは9秒73とまずまず。バックストレートで加速しながらインカーブをうまくまとめた後、最後の直線で再びスピードが乗った。

 山影と同走した黒岩は、初日ほどの硬さはなかったが、上体の力みは残っていた。直線の滑りが粗い山影はカーブでの加速を利用した。

 千メートルは二日連続で野明と今井が同走。インスタートの今井は切れのいいカーブワークに加え、この日は直線に伸びがあった。200メートルの17秒16は今井としては好タイム。野明は力みもあったが食い下がった。600メートルを今井がややリードし、バックストレートで野明を追った今井が、最後の1周を最も速いラップでカバーした。二人の間に割って入った清水はスピードを生かして突っ走ったが、残り1周はさがに疲れが見えた。

<野明 連日の千3位、充実感>

 男子千メートルで初日に続いて3位、合計タイムで清水に次ぐ二番手になり千五百メートルに続く代表権をほぼ確実にした野明は充実の表情だった。

 二日続けて今井と同走した。レース前は後輩の今井に「意識し過ぎて、お互いがつぶれることがないようにしよう」と声を掛けたという。

 スタートで出遅れた前日の反省から最初の200メートルに集中した。最初のカーブまでの直線が短いアウトスタートだったにもかかわらず、一日目よりも0秒07速い17秒29で通過。「昨日に比べればうまくまとめることができた」という。スタートからリードを奪われた同走の今井に逃げ切られてしまったが、これにも「できれば600メートルまでに逆転したかったけど…。今井君が強かった」と苦笑いしていた。

 今季のW杯では、3、5、3位と上位に定着している千五百メートルに対して、五千メートルは15、14、16位(転倒)と低迷。「今の自分の力では五千メートルは厳しいと思っている」野明にとって、千メートルの代表権獲得は願ってもないこと。「自分ができることはすべてやった」と朗報を待っている。

<山影 思わず緩む表情>

 〇…男子五百メートルの長野五輪代表を“当確”としたのは伏兵の山影。「選考基準に引っ掛かっているとは思うが不安」と言いながらも、思わずにやけてしまう。

 1回目の1位に続きこの日の2回目は3位。2レースの合計タイムで、すでに出場権を持つ清水を除くメンバー中でトップの成績を残した。スラップスケート導入が遅れ、十一月初めのワールドカップ(W杯)派遣選考会では振るわず、国内残留組に。会社の先輩である第一人者、堀井学を師と仰ぐ社会人一年生は「これで五輪を身近に感じられるようになった」と素直な気持ちを明かした。

(1997年12月22日 信濃毎日新聞掲載)