五輪代表の軌跡=竹脇直巳(上) 情熱 「何もない時代」から


[ボブスレー 竹脇 直巳]

 連続四度目の五輪出場を決めた竹脇直巳(33)=北野建設=のボブスレー人生は、苦闘の連続だった。過去三回の四人乗りの成績は18、17、18位。順位は伸び悩んでいるが、競技への情熱は衰えるどころか燃え盛るばかりだ。

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 「こんなそりでは戦えるわけがない」。初出場したカルガリー(カナダ)五輪後、スタートダッシュでそりを押し出す役割のブレーカーから、最前列でボブスレーを操縦するパイロットに転向した竹脇は、世界と戦うには粗末過ぎる道具にいらだっていた。

 世界のすう勢は今や、そりの刃(ランナー)の改良に主眼が移り、各国は秘密のベールの中でしのぎを削っている。が、当時の日本チームは、自前のそりを持つことさえままならなかった。遠征先で他の国からそりを借りて試合に参加することも多かった。日本ボブスレー・リュージュ連盟の財政力ではワールドカップ(W杯)転戦も、資金の許す範囲で細々と―という状態。道具にまで手が回らなかった。

 竹脇は八九年、意を決して個人の持ち出しで「使える」そりを買った。イタリア製の二人乗り。百七十万円だった。一緒にパイロットに転向した脇田寿雄(東京美装)も一台買った。若いパイロット二人の、けなげなまでの意欲の表れだった。

 竹脇、脇田と越和宏(現在はスケルトン選手)の三人は、二台の新しいそりを持ち意気揚々と、ドイツへ滑走練習に乗り込んだ。

 だが、現実は甘くなかった。タイミングがつかめず、滑る度に転倒。全身あざだらけになった。心と体に受けたその時の衝撃は忘れられないという。「毎日、滑りに行くのが本当に怖かった」。練習が終わると、酒を飲んで痛みを忘れた。「ビールを6本にワイン…。痛みはアルコールでまひさせた。よくやってたもんだ」と、竹脇は苦笑いしながら当時を振り返る。

 そりの輸送、宿泊の手配…何から何まで選手がやっていた時代。それがあって、今の自信が蓄えられた。「あのころがなかったら今の自分はない。すごく貴重な体験をしてきたと思える」という。「欲を言えばきりがないけど、何もない時代から、やっとここまで来られた」。竹脇には自負がある。

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 競技の魅力を語るとき、眼鏡の奥の目が少年のように輝く。「パイロットは、自分の好きなように道をつくっていける。何年やっても新しい発見があり、奥が深い」。歩んできた道のりを、重ね合わせているようだ。

 【たけわき・なおみ】

 高校時代は陸上短距離選手。百メートルのベストは10秒90。仙台大に入学した83年、ボブスレー部に入部し競技を始めた。2年生の時、ジュニアチームの遠征メンバーに選ばれ、仙台大研究生の88年、カルガリー五輪に初出場。アルベールビル、リレハンメルと連続出場した。体力と瞬発力を併せ持つパイロット。北野建設に就職した88年から長野市に在住。滋賀県高島郡出身。33歳。

(1998年1月17日 信濃毎日新聞掲載)