「苦しんだ1年」 涙の堀井、スラップで“迷路”



 勝負は時として残酷だ。日本男子スプリンターの最強のライバルとして一緒に表彰台に立とうと誓い合っていた清水宏保選手(三協精機)と堀井学選手(王子製紙)を、五輪の舞台は表彰台の三位と、惨敗ともいえる十七位に引き裂いた。十五日のスピードスケート男子千メートル。二つ目のメダルに「良き先輩がいたから」と堀井を気遣う清水。悔し涙の後「一番近くにいる素晴らしいライバル」と清水をたたえた堀井。勝負は残酷さとともに友情のドラマも用意していた。

 滑り終わった目に涙があった。銅メダルのリレハンメル五輪から四年。表彰台の頂点だけに照準を合わせてきた堀井学選手のナガノは終わった。

 一月十三日、イタリアで行われたワールドカップ(W杯)で十一位。スラップスケート出現で始まった悩みの中にいた。無言で競技会場を後にした堀井はその夜、ホテルのコーチの部屋のドアをたたき「妻のため、家族のため、頑張ります」。それだけ言って、自分の部屋に戻った。

 苦しい海外遠征を、新しい家族への思いが支えていた。昨年、看護婦の琴恵さん(24)と結婚。北海道苫小牧市で知り合った二人は、互いに「一目ぼれだった」という。堀井は「責任感が全然違う。スケートで家族も食べていかなきゃいけないですから」と言うようになる。

 父の治年さん(56)は、堀井がさらに成長したと感じた。「覚悟が決まったというか、度胸が座った。一人っ子で、すぐ人恋しくなる子だった。結婚は大きなプラスになっている」

 昨年十二月十九日、カナダのカルガリーでスラップと“格闘”している堀井に、長男が生まれたことを知らせる電話があった。様子が知りたいと、毎日かける国際電話の料金は約三週間で三十万円近くにもなった。

 やっと届いた勇斗ちゃんの写真。「髪があって安心した。僕の生まれて一カ月ぐらいの写真とそっくりだった」と堀井。「これが僕の子供か…。感動しました。頑張らなくてはいけないという気持ちが一人分強くなった」と喜んだ。

 勇斗ちゃんを初めて見たのは帰国後の一月末。長野五輪開幕が十日後に迫っていた。選手村入りの直前、苫小牧市の自宅で二日を過ごした。ジャンパーのポケットに入れた勇斗ちゃんの写真が五輪のお守りになった。

 「最高のものをつくりあげてきた」と自分を奮い立たせての長野入り。だが十五日のレース後「スラップに悩み、苦しんだ一年だった」と打ち明けた。

 九六年三月以来「ほかの選手に威圧感を与えたい」と、髪をそり落としていた“異形”の男に、ようやく普通の顔に戻って家族の元へ帰る日がくる。

(1998年2月16日 信濃毎日新聞掲載・共同)