光は見えた複合日本5位 荻原兄弟さらに意欲


 地元で開いた五輪を戦い終えた荻原健は「緊張や不安もあったが、ここ二、三年で一番充実した時間を過ごせた」とホッとした表情だった。

 「期待が一切なくて伸び伸びやれた。僕にとっては世界に出る第一歩になった」と振り返る九二年アルベールビル五輪から数えて三度目の五輪。九四年のリレハンメルは「好調で自分でも金メダルを取る気でいたし、周囲も安心していた。『普通にやれば』という気持ちが守りにつながってメダルを逃した。今でも悔いが残る」という。

 「だからこそ『長野ではやってやる』という気持ちがあった」。この一年は生活の拠点を白馬に移し、飛び、走った。どうしてもメダルが欲しかったが、その一方で「メダルには届かなかったけど僕ら四人は一生懸命走った」と自身を納得させた。

 ゴールした後、声援にこたえるようにトラックを1周した。荻原健は「メダルを取れなかったので…。雨の中を来てくれた一人一人に『ありがとう』と感謝したかった」と説明した。

荻原健は「注目してくれる人がいる限りは、もっとスキーを続けなくてはいけないと思う」と決心した。ここにきてジャンプ低迷から脱出したことも自信になって「光が見えてきた。『まだまだチャンスあるなあ』という気持ち。来年は世界選手権もあるし、その先に二〇〇二年(ソルトレークシティー五輪)があるかもしれない。とにかく『これでいい』ということはない」。19勝のままストップしているW杯の優勝回数にもこだわっている。

 個人戦の後で「スキーをやめてもいい」と発言し、引退がうわさされた次晴も「もうちょっと上を狙ってやってみようかな―という欲が出てきた」。メダルを獲得できなかったことが二人の意欲をかき立てていた。

(1998年2月21日 信濃毎日新聞掲載)