健司の一喝、次晴奮起 団体戦前のエピソード披露


 「多くの人に試合を見てもらって、夢のような時間を過ごせた」―。長野五輪のノルディックスキー複合団体で五位に入賞した荻原健司、次晴両選手(ともに北野建設)が二十一日、長野市内で記者会見した。特別の思いを抱いて準備してきた「地元五輪」で充実感を得られた―と、健司は胸の内を明かした。

 九二年アルベールビル五輪での団体金メダル以降、日本複合陣の活躍は常に注目を浴び続けてきた。日本でも人気競技に押し上げた最大の功労者、健司は「ガッツポーズの荻原を(日本のファンに)見せるのが夢だった。日本人の前でプレーすることができて、これほどの充実感、達成感はない」と喜んだ。

 一方、団体三連覇やメダル獲得が果たせなかったことについては「僕は勝つことが使命と思ってやってきた。自分なりのことはやったが、とても悔しい」。淡々とした言葉の裏に、第一人者としての意地も見せた。

 弟の次晴は、初めての五輪出場に「開幕から十日ほどは、あまり良く眠れない日もあった。早くこの緊張感から解放されたいと思っていた」と話した。特に、今季前半のワールドカップ(W杯)で不調が続き「厳しい冬になったと思った」というが、五輪での自分を振り返って「他の選手を引っ張る選手になれた」と、笑顔を見せた。

 会見では、個人戦終了後に引退をほのめかした次晴に、健司が「ばかじゃねえの」としかったエピソードも紹介。次晴は「メダルも取ってないのに、逃げちゃいけないとの意味が含まれていた、と納得した」。

 健司は「また一番を取って表彰台の一番高いところにいる姿を見せることが、声援をくれた人への恩返し」と語った。W杯後半戦や来年の世界選手権に向け、競技生活への強い意気込みを示した。

(1998年2月21日 信濃毎日新聞掲載)