【独自】芦部信喜氏の「幻の原稿」発見 出身地駒ケ根の農家の土蔵から

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 戦後日本を代表する憲法学者、芦部信喜(のぶよし)氏(1923~99年)が23歳だった1946(昭和21)年11月15日に、12日前の日本国憲法公布を受けて書いた論考「新憲法とわれらの覚悟」を掲載した雑誌が15日までに、出身地駒ケ根市の農家の土蔵から見つかった。終戦で復員、駒ケ根滞在を経て東京帝大(現東京大)に復学して間もなく書かれたとみられる。ドイツ・ワイマール憲法や明治維新がたどった道を分析、新憲法を生かすために国民の「主体的意識の確立」を呼び掛け、現代にも通じる内容。憲法学者らは「芦部憲法学の出発点が分かる極めて貴重な文献」と評価している。

■23歳の論考「新憲法とわれらの覚悟」

 論考のタイトルは教え子たちに語り継がれたが、実物がなかったため「幻の原稿」と呼ばれていた。

 芦部氏は帝大法学部に入学後わずか2カ月で学徒出陣し、陸軍金沢師団に入営。特攻隊の候補生にもなった。45年の終戦後、1年近く駒ケ根の実家に滞在。当時、全国で花開いた文化運動に関わり、旧制伊那中(現伊那北高校)時代の仲間らとガリ版刷りの雑誌「行人」(後に「伊那春秋」と改題)を発行していた。

 今回見つかったのは「伊那春秋」第4号。わら半紙がかなり劣化していた。編集兼発行人は芦部氏になっている。

 原稿は巻頭言のすぐ後に掲載され、4部構成で8ページ、5千字余。末尾に(二一、一一、一五)の日付がある。

 (一)は総論で、「もし封建時代から継承された他力本願的な気持ちを清算出来ないならば…明治憲法に比し飛躍的な近代的性格を持つ新憲法を時の経過と共に空文に葬り去ってしまうことが、決してないとは言えない」(注・現代仮名遣いに改めた=以下同)と指摘。この憲法を生かすには「我々(われわれ)の『主体的意識の覚醒』の一語につきる」と呼び掛ける。

 (二)は第1次世界大戦後にドイツで制定され、当時、世界で最も民主的といわれたワイマール憲法がナチスに蹂躙(じゅうりん)され、死文化した経過を分析。それと日本国憲法を重ね合わせ、「何らの節操もない為政者を選出して異とも感じない考え方が依然として改められず、相変わらずの被治者根性に支配されて主体の意識を取り戻さぬ限り、新憲法の下に再び過去の変改が繰り返される」と警告する。

 (三)では、民主主義を「最も毒する」封建的心情を生んだ明治維新後の歴史を振り返り、国民が「権力への卑屈な盲従及びこれとうら腹をなす官僚専制が習いとなり、驚くべき事大主義の痴(し)れ者となっていた」という厳しい見方を示した。(四)で「『正しき権利の主張』と共に不可分に『他者の権利を承認、尊重』すると言う近代的遵法精神の確立」を求めている。

■芦部憲法学の原点 戦争体験世代しか語れない内容

 「芦部憲法学を読む―統治機構論」などの著書がある高見勝利・北海道大名誉教授(憲法学)は「新憲法をまっとうに運用できる主体をどうつくっていくか、という一国民としての決意表明で、その後、代表的著書の『憲法』(岩波書店)に集約される芦部憲法学の原点と言える。戦争体験世代しか語れない内容でとても貴重だ」と話している。

 「伊那春秋」第4号は、駒ケ根市中沢の下島大輔さん(83)が土蔵で発見。父親の本棚に1冊だけあり、6月に伊那北高校同窓会に寄贈した。

 父の弟は、英歴史学者トインビーの大著「歴史の研究」全25巻を翻訳した英文学者、下島連(むらじ)(1908~86年)で、この4号に哲学者ジョン・マクマレー「近代精神の本質」の訳文を寄稿。芦部氏の赤穂尋常高等小学校時代の担任で民俗学者、向山雅重(まさしげ)(1904~90年)も「味噌(みそ)の食習」を寄稿しており、郷土誌としても高い価値がある。

 「伊那春秋」はこれまで駒ケ根市立図書館所蔵の5号だけが確認されていた。

〈あしべ・のぶよし〉東京大名誉教授。1977(昭和52)~79年、全国憲法研究会代表。93年、文化功労者。米国留学を経て、裁判を通して法律などの違憲性を問う「憲法訴訟論」を開拓、実践した功績が大きい。代表的著書の「憲法」(岩波書店)は多くの大学法学部の教科書として使われ、累計発行部数は100万部を超える。中曽根内閣時代の84~85年に開かれた諮問機関「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」に参加。最後まで「公式参拝は違憲」と主張した。

(編集委員 渡辺秀樹)

「新憲法とわれらの覚悟」の第1ページ。右上は青年期の芦部信喜氏(陸軍時代)。終戦を経て、撮影時の2年半後にこの論考を書いた

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