〈社説〉沖縄の終わらぬ戦禍 現状を動かす鍵は本土に

 沖縄の人たちに会う時に抱く気後れに似た感情は、どこから来るのか。時折、自問する。

 基地のない平和な島で人権や自治権を取り戻す―。50年前の復帰に県民が託した願いを、裏切ってきた本土の一員であるためか。

 米軍機が引き起こす騒音、頻発する不時着や部品落下、軍人・軍属の犯罪や事故…。重荷を押し付ける政治を、結果的に許している後ろめたさがもたげる。

 戦後の米軍政下で「一切の制約なき軍事行動の自由」の地に塗り替えられた沖縄は、いまも戦禍にさいなまれている。

■踏みにじられた民意

 敗戦後の沖縄は米軍によって直接統治された。冷戦を見据え、軍略上の「要石」と見なした米軍は人々から無償で土地を奪い、基地を拡大していく。

 1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発効し、本土は主権を回復する。奄美群島や小笠原諸島とともに、沖縄は日本から切り離され、さらに20年もの間、米国の施政権下に置かれた。

 土地収用令による収奪は続いた。講和条約上も、国際法上も、正当性を欠く長期占領を、日本政府は追認していった。

 核兵器が配備され、基地はベトナム戦争の出撃拠点として使われた。戦争の苦しみを知る人々にとり、加害の側に立たされたのは痛恨事だったに違いない。

 戦争の放棄と基本的人権の尊重を掲げた憲法の適用を求め、60年代に入ると「祖国復帰運動」が熱を帯びていく。

 琉球政府が本土への建議書をまとめたのは復帰前年の71年秋。米軍基地撤去をはじめ、地方自治権と基本的人権の確立、県民本位の経済開発を柱とした。

 屋良朝苗(やらちょうびょう)行政主席が、建議書を提出するため羽田空港に到着した時分、国会は基地残存を認める沖縄返還協定を強行採決する。「切り離し」に続き、ここでも民意は踏みにじられた。

■復帰後も解消せず

 いまなお、日本にある米軍施設の7割が沖縄に集中する。核兵器は撤去されたものの、返還合意の際、日米は、緊急時に核を持ち込む密約を交わしている。

 95年の米兵による少女暴行事件は、復帰の幻想を打ち破り、抗議の声は全国に広がった。安全保障体制を守りたい日米両政府は、米軍普天間飛行場を含む一部施設の返還に合意するも、同じ県内に代替施設を確保した上での「たらい回し」に過ぎない。

 政府は90年代後半、米軍用地特別措置法を改定する。米軍に提供する土地の収用手続きを首長から取り上げ、首相が裁決できるよう組み替えている。

 米軍ヘリが大学に落ちても、部品を小学校に落としても、提供区域外で訓練しても、有害物質を垂れ流しても、日本政府は日米地位協定を放置し「協定の運用改善を図る」と繰り返すだけだ。

 県民を対象にした世論調査によれば、年代が若いほど基地が集中する現状を「このままでよい」とした割合は高まる。半面、他県と比べて基地負担が「不平等」とした人は8割を超える。半数超が復帰後の歩みに満足しておらず、米軍を「信頼していない」。

 生活のため、現状を受け入れて「慣れざるを得ない」県民の単純でない心情がうかがえる。現状に「慣れさせたい」権力に対する抵抗が、深層に沈着する傾向にこそ目を向けなくてはならない。

   訴えを警鐘として

 復帰後、自衛隊施設が飛躍的に増えている。近年は先島諸島にも進駐し、中国をにらんだ最前線の色合いを一層濃くする。

 基地集中を不平等と捉えつつ、安保体制の現状維持を求める結果が、全国世論調査に表れていた。倒錯した認識から「沖縄の基地負担はやむを得ない」とする黙認まで、さして距離はない。

 中国の短・中距離ミサイルは日本全土を射程に収める。沖縄に大きな基地を集める不合理から、分散の必要を指摘する意見が米国内で出始めている。今後も、基地負担が、沖縄を含む基地自治体にとどまるとは限らない。

 ウクライナ戦争で高まった危機感から、軍備拡張を必然とし、米軍の「制約なき自由」を是認する先に、国民の暮らしに何が起きるのか。身をもって知る沖縄の「基地なき島」の叫びは、全国への警鐘として捉えたい。

 その沖縄は、東アジアの中心に位置する地理的特性を生かし、各国の人々が行き交う「共生の島」を構想している。

 沖縄戦で十数万の県民が犠牲となり、軍政下で人権も自治も蹂躙(じゅうりん)された人々の希求は、絵空事ではない。米国と中国のはざまにある日本が、軍事偏重の潮流にあらがう術として、真剣に追求すべき外交上の命題であろう。

 県民が幾度も示した反対の意思を無視し、日米が一体となり、沖縄を「軍事の島」に固定化している。戦後77年を経て、新たな「戦前」を準備するのか。岐路に立つのは、本土の側と言っていい。

あわせて読みたい