【沖縄から見つめる民主主義】我部政男さんに聞く㊦ 国民意識の在り方示す史料 継承を

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戦時中に家族と潜んでいた沖縄本島北部の海岸の壕を指さす我部政男さん。その後、米軍の捕虜になった=3月28日、沖縄県今帰仁村

 沖縄の近現代史研究に生涯をささげる山梨学院大名誉教授の我部政男さん(83)=沖縄県本部町=の生年月日は二つある。実際に生まれたのは1939(昭和14)年1月6日だが、戸籍には40年2月28日と記載されている。「戦争で戸籍が焼けて、自分でそう申請したんです」。後に見つかった書類で正確な生年月日が判明。大学退職後にその生年月日を使うようになったものの、戸籍は今もそのままだ。

■沖縄戦の体験を基に

 我部さんの問題意識の原点は、その沖縄戦にある。

 幼少期の戦争体験は強烈に刻まれている。物心がついた頃には自宅の半分は旧日本軍に接収されていた。米軍の空襲で那覇市街地の大半が消失した44年10月10日、我部さんがいた沖縄本島北部の本部町にも影響は及んだ。家族で山中に避難して数カ月暮らした後、隣接する今帰仁(なきじん)村の海岸の壕(ごう)に潜んでいるとき、家族とともに米軍の捕虜になった。

 「自分の受けた戦争体験を単に自分の経験や思いにとどめず、そのときの状況をひもとく具体的な史料の中で捉えようと、史料収集に向かった。客観性を史料に求めようとしていたんでしょうね」

 激しい地上戦が…

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