「失敗を直視するモニュメント」 山田朗・明治大教授 【信毎×琉球新報 沖縄復帰50年企画】 

有料会員記事
明治大の山田朗教授

長野市に残る松代壕は、戦争という異常事態の中で造られた異常で巨大な構築物。その異常な物が実際に造られたという動かぬ証拠だ。那覇市の32軍壕は、多くの民間人を抱え込む非常に特殊な戦闘だった沖縄戦を指揮した場所。まさに使用された戦争遺跡で、その重みはすごい。

 1944(昭和19)年12月にフィリピン・レイテ島での決戦が失敗に終わると、大本営陸軍部は本土決戦へと急激にシフトする。沖縄は米軍に大きな打撃を与えつつ、時間を稼ぐという位置付けとなった。その間に松代壕の建設を含む本土決戦準備が…