台所探検家・岡根谷実里さんに聞く。「生きるため」だけじゃない、文化を作る発酵食

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漬物にみそなど、長寿大国・信州の健康を支えてきた発酵食。そこにはどんな価値があるのだろうか。世界各地を訪れ、家庭料理を探究する世界の台所探検家・岡根谷実里さんに、世界の視点から見た信州の発酵食の魅力と価値を伺った。

料理にも使うヨーグルト

 世界各地、あらゆる土地でそれぞれの発酵食に出会ってきた。ブルガリアではヨーグルト。朝食やそのまま食べるだけでなく、料理にも使う。たとえば、冷たいヨーグルトスープ「タラトール」は夏の定番だ。キュウリやクルミを刻んで混ぜて、ニンニクとレモンできゅっと味を締めて、火を使わず10分ほどでできてしまう。爽やかな酸味が喉と鼻を通り抜け、食欲が湧かない日でもするすると食べられてしまう。その上たんぱく質もしっかり取れて、夏バテしがちな時期にぴったりだ。8月に訪れた時には、毎日食べていた気がする。

ヨーグルトの使い方としては、肉料理の横にソースのように添えるのも定番だ。容器からスプーンですくって、ぽんと皿の隅に落とすだけ。肉団子のような「キュフテ」も、ブドウの葉で作るロールキャベツのような「サルミ」も、ヨーグルトを添えるとさっぱり食べられる。なんだか消化もよくなる気がするし、ハンバーグや焼き魚に大根おろしを添えるのと似ているかも。

そんなヨーグルトは、今は買ってくる方が主流だけれど、自家製を続ける人もいる。その台所には発酵と付き合う知恵が詰まっていて、発酵が進みすぎたヨーグルトは、「バニツァ」というパイにちょうどいいとおばあちゃんが教えてくれた。なんでも、ふっくら仕上がるのだとか。若いものも時間が経ったものも、優劣をつけるのではなく、それぞれに合わせた活用の仕方を知っているのだ。

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バニツァは、紙のように薄いパン生地にヨーグルトやチーズや卵をまぜて包んで焼く。焼きたてはたまらない。

ヨーグルトの他にも、飲むヨーグルトのようなアイラン、酸味が強くさらっとしたケフィア、濃くてチーズのようなカタクなど。ブルガリアのスーパーには、似たような見た目のものがたくさん並んでいた。日本語にするとすべて「発酵乳」になってしまうけれど、用途も味わいもすべて違う。生乳を発酵させた仲間の多様さに、驚いた。高緯度に位置するこの地域では、昔から酪農が盛んに行われてきた。生きる糧を家畜の乳に頼っていた時代、乳を腐敗させないうちに日持ちする食物に変えるための知恵が蓄積し、多様な発酵乳が生まれていったのだろう。保存性が高まることに加えて、たんぱく質やカルシウムが吸収されやすい形になるというおまけもついてきた。

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今日の昼食はタラトール。夏は、ヨーグルトが食卓に上らない日はないという。

塩なしで作る、タイの漬物

 タイ東北部の山奥に住む少数民族アカ族の人たちは、アブラナの仲間の葉をさっと湯に通して瓶に入れて、塩を一切加えず漬物を作ってしまった。驚いたのは、その使い方。ある日食事の支度をしている時、その瓶を出してきて、野菜ではなく漬け液の方を料理に使ったのだ。何を作ったかは忘れてしまったが、塩気を思わせる深いうまみがはっきりとあったのを覚えている。山奥のこの土地では、昔は塩が貴重だったはずだ。また、動物性たんぱく質も乏しいのでうまみのあるものが少ない。塩を使わず漬けるだけでなく、塩の代わりの味わいやたんぱく質代わりのうまみを作り出してしまったのだからすごいことだ。

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タイ東北部、無塩乳酸発酵の漬物。薬味をのせて、漬け汁まで食べる

これは無塩乳酸発酵と呼ばれ、菌との繊細な対話が必要とされる技法だ。この時が私と無塩乳酸発酵との出会いだったが、そういえば、木曽のすんき漬けがまさにそれではないか。
 恥ずかしながらそれまですんきは「漬物の一種」という理解しかなかったのだが、漬け汁をそばつゆやみそ汁に使うと聞き、海を越えた知恵の普遍性に驚いた。実はすんきは、発酵ファン垂涎の漬物だ。そんな文化が自分の郷土にあったなんてと、勝手に誇らしく思うようになった。

異国で出会ったみその味

発酵を通したつながりという意味では、フィンランドでのみその思い出は忘れられない。福祉国家でデザイン先進国、サウナとムーミンの国として知られる北欧のフィンランドは、あこがれたり見上げることばかりだと思っていた。

ある日、滞在先の家のお母さんが、冷蔵庫を開けた時にふと手を止めて取り出したのが、"MISO"と書かれた小瓶。「これ健康にいいと聞いて買ったはいいんだけど、どうやって使ったらいいと思う?」と尋ねられた。まさかこんなところで、みそに出会うとは!聞けば、みそ汁が好きなのだけれど豆腐とワカメのみそ汁しかわからず、一度作ったものの水っぽくていまいちで、それきりになっていたのだという。その組み合わせではだしが出ないから無理もない。冷蔵庫の中から根菜やキノコなどだしの出そうな野菜を探して、みそ汁を作ったら大好評。このMISOは信州みそのような辛口だったこともあって、自分の食べ慣れた懐かしい味を、この国の家族に気に入ってもらえたのがうれしくてならなかった。

みそといえば、韓国にも日本とそっくりな「テンジャン」というみそがある。これで作るテンジャンチゲはいわゆる韓国風みそ汁で、はじめて食べた時はびっくりした。器は韓国料理で定番の黒い小さな土鍋だけれど、中身はみそ汁。具はキノコや豆腐、少しの青唐辛子だった気がする。ちょっぴりニンニクが香るそのみそ汁を食べながら、辛くない韓国料理に出会えたことと、ほっとする馴染みの香りに、一気にこの国を近く感じた。

 発酵という技術は、もともと食べ物の保存や、その土地で得られない味や栄養を生み出すために行われたと言われる。そう考えると、冷蔵庫がこれだけ普及し、世界中の食べ物が手に入るようになった今、食物を発酵させて保存期間を長らえる"必要"は、きっとないのだろう。

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韓国のテンジャンチゲは、食べ進めるほどに「ああみそ汁だ」という安堵を感じた

 しかし、現実は違う。ブルガリアはEUに加盟できるだけの経済成長を遂げ、スーパーに行けばいつだって新鮮な肉や魚や牛乳が手に入るけれど、相変わらず人々は「ヨーグルトがない食卓はあり得ない!」ときっぱり言う。タイの山奥では、出稼ぎに出る人の増加と流通がよくなったことによってうま味調味料が台所に普及し、もはやうま味には困らないどころか過剰ですらあるのに、塩を使わぬ漬物は作られ続けている。フィンランドのように食が満たされた国で、わざわざ遠くアジアのみそに興味を抱くのは、健康意識や異文化への感心からだろうか。当の日本では、みその消費量は減っているものの、みそづくりやぬか漬けといった「自家製発酵食」への関心がここ10年右肩上がりだ。

 発酵の価値は、今や「生きるための必要性」だけでは説明がつかない。既に書いてきたように、もはや飢えに困ることはないし、短期間食べ物を保存するためならば、冷蔵庫に入れる方がずっと楽だ。それでも発酵食が相変わらず生活に欠かせないものになっているのは、菌の働きによってしか生まれないおいしさや、育つ楽しみがあるからではないだろうか。おいしさや作る楽しみを与えてくれるものとして、衰えるどころかますます熱気を帯びて、私たちの食卓に彩りを与えてくれているのだ。

台所探検家が教える、世界の発酵レシピ

発酵食の魅力と価値を教えてくれた世界の台所探検家・岡根谷実里さんに、簡単につくれる発酵料理のレシピを教わりました。暑さの増す夏の日に、ぜひご家庭でためしてみては?

ブルガリアの冷たいヨーグルトスープ『タラトール』

ブルガリアで夏によく食べるスープで、これとパンが昼食になります。日本で販売されているヨーグルトは酸味が少ない物が多いですが、酸味が強いヨーグルトを選んで使うと現地の味により近づきます。

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材料(2人分)
プレーンヨーグルト 200g
きゅうり 1本
くるみ 20g
オリーブオイル 大さじ1/2
塩 適量
水 50~100ml
ディル(あれば) 1/2束
にんにく(なくても可) 1片

作り方

  1. きゅうりをみじん切りにする。
  2. くるみを砕く。ビニール袋に入れて麺棒などでたたくのがお勧め。粗さはお好みで。たたきすぎて粉々にしないよう気を付ける。
  3. ボウルに1と2を入れる。ディルがあれば、みじん切りにして加える。
  4. ヨーグルトを加え、好みのゆるさになるまで水を加える。ヨーグルトの種類によって固さが異なるので、様子を見ながら調整する。
  5. オリーブオイルを加え、塩で味を整える。にんにくを入れる場合は、すりおろして加える。
  6. 器に盛り分ける。最後にオリーブオイルをひとまわしすると美しい。

ベトナムの人気デザート『チェー(甘酒入り)』

chè chuối(チェー・チュオイ)という、バナナとタピオカとココナツミルクのチェーを日本風にアレンジしています。 タピオカを白玉に、ココナツミルクと砂糖を一部甘酒にすることで、夏らしくもやさしい甘みに。

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材料(2人分)
ココナツミルク 100ml
甘酒 100ml
バナナ 1本
砂糖 大さじ1l
白玉粉 40g

作り方

  1. バナナを輪切りにし、砂糖をまぶして30分以上置いておく。
  2. 白玉を作る。白玉粉に水大さじ2強を少しずつ加えながらこね、耳たぶくらいのかたさにする。12個くらいの団子にし、真ん中をへこませる。沸騰した湯に入れ、浮いてきて2分ほどしたらすくい、水にとる。
  3. 鍋にココナツミルクと甘酒を入れ、温める。
  4. 軽く沸騰したら火を弱め、1と2を加えて2~3分煮る。
  5. 皿に盛り付ける。温かいままでも、冷蔵庫で冷やしても。

*ゆであずき、さつまいも、干し柿などお好みで添えてもおいしい。

プロフィール

 岡根谷実里 

  
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1989年生まれ、長野県出身。東京大学大学院工学系研究科修士修了後、クックパッド株式会社に勤務し、独立。世界各地の家庭の台所を訪れて一緒に料理をし、料理を通して見える暮らしや社会の様子を発信している。講演・出張授業・執筆・研究などを実施。近著に『世界の食卓から社会が見える(大和書房)』

文:岡根谷 実里
イラスト:竹内 巧

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