• 「今も苦しむ人忘れない」 市民ら200人、松本で脱原発デモ

       中信地方の市民団体などでつくる「脱原発信州ネットワーク・松本」は7日、「3・7サラバ原発長野県大行…

      脱原発を訴えるプラカードを掲げて松本市街地をデモ行進する参加者
    • 東日本大震災10年 今は住めぬ荒浜で思う 住民募る寂しさ

       散乱したがれきはなくなりがらんとした光景が広がっていた。写真を撮った東日本大震災1カ月後と比べても…

      荒浜小学校近くに仙台市が整備した「避難の丘」から。奥に荒浜小が見える=3月4日、仙台市
    • 被災地にヒマワリ咲かせる活動参加 「今後も福島のこと伝える」

       東日本大震災で被災した福島県で復興の象徴としてヒマワリを咲かせる「福島ひまわり里親プロジェクト」に…

      ひまわりの種を送るプロジェクトについて山田さんが話す動画投稿サイトの画像
    • 「福島 いつも頭の片隅に」 元サッカー日本代表・丸山桂里奈

       「自分に何ができるかという気持ちで過ごした10年でした」。持ち前の明るさを生かしタレントとして活躍している元サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」の丸山桂里奈(かりな)(37)が、静かな口調で語りだした。大学卒業後に5年ほど、福島県の東京電力福島第1原発で働きながらサッカーに打ち込んでいた。退団して間もなく東日本大震災と原発事故が発生。以来、「仕事がすごく忙しくても、福島のことは頭のどこか片隅にある」と語る。

      母親が千曲市出身。「小さい時から家族みんなで行っていました。特別な場所です」
    • 大川小 裏山へ道あれば… 今も後悔

       東日本大震災で津波に襲われ、児童74人と教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校の校舎を設計したのは、下伊那郡大鹿村育ちの建築家北沢興一さん(83)=東京都=だ。北上川を背にしてアーチを描く形状で、当初は校舎に隣接する裏山に「屋外教室」を提案したが実現しなかった。

      設計した大川小学校の完成図を前に話す北沢さん=1日、東京都
    • 第二の故郷 復興に落差 本紙記者、福島県「浜通り」を取材

       「浜通り」と呼ばれる福島県沿岸部。2011年3月11日の東日本大震災では、激しい揺れと東京電力福島第1原発の放射能漏れ事故、巨大津波という三重の被害を受けた。

      魚市場など、新しくなった建物が並ぶ松川浦漁港=2月23日、福島県相馬市
    • 津波被害 故郷の今は 本紙記者、宮城・亘理町へ

       いたる所にがれきが散らばり、住宅が多い区域にあるはずのない漁船が乗り上げていた。子どもの頃、好きな海を眺めたり釣りをしたりしに来た阿武隈川河口の荒浜地区は、変わり果てていた。ぼうぜんとしたことを思い出す。

      〈亘理町の震災被害〉宮城県南部に位置する亘理町は、仙台市のベッドタウンで、イチゴ栽培や漁業が盛ん。2011年3月11日の東日本大震災では、津波で町の面積の48%が浸水し、306人が犠牲になった。住宅は地震と津波を合わせ約6200棟が全壊、半壊などの被害を受けた。震災による町の被害額は3352億5300万円。
    • 震災と文学③ あの日に向き合うしかない

       俳人仲間たちに励まされて2012年に出版した第5句集「龍宮」は、津波で無念の死を迎えざるを得なかった人々への鎮魂の思いを込めた震災詠を中心に編みました。1月発表の第6句集「泥天使」は、時がたち東日本大震災直後の生々しさが引けて、残った上澄みを詠んだようなイメージの世界になりました。

      勤務する岩手県北上市内の高校で、震災に向き合い続けた10年を振り返る照井翠さん
    • 震災と文学② 今しかない自然の捉え方を

       2013年夏、知人の紹介で福島県いわき市や富岡町、楢葉町などを訪れ、たくさんの人の話を聞きました。  江戸時代から住んでいた祖先の墓の近くに住めなくなりアイデンティティーが失われる。その感覚は、東京生まれの私にはないものでした。

      昨年9月にベルリンのドロテーエンシュタット墓地を訪れた多和田葉子さん(撮影は㊤㊦ともElena Giannoulisさん)
    • 震災と文学① 「眠っていた自分」への怒り

       戦後最悪の災害となった2011年3月11日の東日本大震災から間もなく10年になる。発生後、津波被害や福島第1原発事故を題材にした文学作品が数多く発表されてきた。震災に向き合い、言葉を紡いできた作家らは今をどう捉えているのか、創作活動や社会に対する思いを語ってもらう。

      多和田葉子さん(本人提供)
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