家永教科書裁判弁護団の大森典子(75)は東大の学生時代、教授芦部信喜(のぶよし)の講義を受けた。強烈な印象として残っている場面がある。 自衛隊演習場の…
〈大部分の国民は、真相を知ることもできず、無謀な戦争に熱心に協力するほかない状態に置かれた〉←「無謀な」の削除を。 「再軍備に反対する人々」と題した写真(「平和憲法守れ」のプラカードを掲げたデモ行進)←差し替えを…。 高校用の日本史教科書原稿を…
元文部科学事務次官の前川喜平(64)は東大法学部の学生時代、法律に興味が持てなかった。それでも唯一、みっちり勉強した講座があった。同学部教授、芦部信喜(のぶよし)の…
郵便局員(当時国家公務員)が休日に選挙ポスターを貼るなどした猿払(さるふつ)事件。総理府統計局職員が選挙候補者の名前が書かれた組合ビラを勤務前に配った統計局事件。昭和40年代の…
宮里邦雄(79)は、労働事件一筋50年余の現役弁護士。手掛けた多数の事件の中でも印象深いのは、総理府統計局事件である。 1965(昭和40)年7月、東京都議選告示の…
1950年代から60年代にかけて大きなうねりとなった憲法改正論。柱は再軍備、天皇制強化と並んで人権の制限だった。国家を重んじ、国民の権利を狭め…
陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない―。 憲法9条の2項である。 では、陸・海・空の3隊からなる自衛隊は、軍や戦力ではないのか…
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した―。 非武装平和の精神をうたった憲法前文のこのくだりは、古くから改憲派の攻撃の的になっている。 岸信介(のぶすけ)内閣のもとに発足し…
田園風景が広がる北海道長沼町。その丘陵に航空自衛隊のミサイル発射基地を建設する計画が持ち上がった。国が水源かん養の保安林指定を解除し、伐採を許可したのは…
1960年代、自衛隊の違憲性を問う恵庭裁判で弁護団の要になった内藤功は、87歳の今も東京で弁護士活動を続ける。 内藤が振り返る。恵庭裁判では…
岸信介(のぶすけ)内閣の下で発足した憲法調査会の憲法改正論議が終盤を迎えていた1962(昭和37)年。北海道である事件が起きた。それが自衛隊の違憲性を…
憲法調査会で、「日本国憲法は改正すべし」という権威ある結論を出させたかったんです―。岸信介(のぶすけ)は当時の執念をそう振り返っている(原彬久(よしひさ)編「岸信介証言録」)。 1957(昭和32)年8月、岸内閣の下に…
1954年末の鳩山一郎政権誕生から57年の岸信介(のぶすけ)政権に至る期間は、「政治闘争としての憲法改正問題の最も切迫した時期、最大のピークであった」。上智大名誉教授の佐藤功(2006年死去)は、そう分析…
「いよいよ憲法改正に取り組む」。先月、自民党総裁選で連続3選された首相安倍晋三は強い意気込みを見せた。自衛隊の9条明記など4項目の党改憲案を…
芦部信喜(のぶよし)が東大法学部を卒業して助手になった1949(昭和24)年、20世紀を代表する法哲学者が他界した。ドイツのグスタフ・ラートブルフである。 ナチスによって大学教授の職を追われたラートブルフが、第2次世界大戦後間もなく発表した画期的な論文に芦部は突き動かされ…