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一茶「江戸」が徐々に遠く 信濃町帰郷後に友人へ宛てた手紙5通発見

 上水内郡信濃町出身の俳人小林一茶(1763〜1827年)が数えで50歳の年に帰郷した数年後、俳諧の腕を磨いた江戸の友人に宛てた手紙5通が、27日までに新たに見つかった。年を経るごとに、一茶の心の中で「江戸」が遠い存在になっていく様子が読み取れる。解読した大阪城南女子短大(大阪市)の小林孔(とおる)教授(54)=近世俳諧史=は、「一茶が『信濃の一茶』になっていく過程が分かる史料」と指摘している。

 手紙はいずれも、江戸の金融業者「井筒屋」の番頭で、一茶と親しくしていた豊島久蔵(きゅうぞう)(1789〜1859年)宛て。それぞれ1815(文化12)〜20(文政3)年に書かれており、20年の手紙を除く4通は一茶の自筆とみられている。関西の収集家の家に伝わり、研究の中で目にした小林教授が解読した。

 15年の手紙は、江戸の顔なじみ7人に宛てたうちの1通で、体調など近況を報告。16年の手紙は豊島ら2人に宛てて、親しい仲間によって前年に刊行された句集に自身の句が採用されたことへの礼を伝えてほしいと求めている。一茶が書き写して蔵書にしていた先人の句集が、一茶を支援した江戸の薬屋「幸手(さって)屋」にまだ置いてあり、豊島がその句集を借りていたことも分かる。

 これに対し17年の手紙では、豊島が一茶の蔵書を借りようとしたものの既に幸手屋になく、信州に運ばれていたことが分かる。19年の手紙は、6年前に豊島に貸した本の返却を求める内容が書かれており、便の取り次ぎもこれまで頼んでいた幸手屋でなく、飛脚を指定していた。小林教授は「一茶が幸手屋から離れ、少しずつ疎遠になっていく姿が見える」とする。

 一方、20年の手紙は、確認できる中で豊島に送った最後の手紙を誰かが書き写した文書という。内容の一部が掲載された文書は知られていたが、その原文全体の写しとみられる。浮世をはかなんだ「行末(ゆくすえ)はうきを見ん見ん見ん見んと世に秋せミの鳴きになく哉(かな)」との俳諧歌も新たに見つかった。

 別の句には「東(あずま)に行(いか)んとして中途迄出(までいで)たるに」との前書きがあった。一茶が実際に江戸への途中まで行ったのか、行きたい気持ちがあったが行けなかった―との気持ちを示したのかは分かっていない。小林教授は「一茶の江戸への未練を感じさせる」と指摘する。

 小林教授は今回の手紙について、10月20〜22日に信濃町の一茶記念館で開く俳文学会の全国大会で発表する。

(8月28日)

長野県のニュース(8月28日)