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〈いとしや老犬物語〉と東京紙が報じたのは1932年10月。〈今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる七年間〉と続く。これで秋田生まれの犬ハチの運命は変わった。「忠誠心」が称賛され、2年後には東京・渋谷駅前に銅像ができた

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ハチは翌年、渋谷の路地で死んだ。小学2年の修身の教科書に「オンヲ忘レルナ」の題で登場するのは同じ年のこと。30年代の日本は中国侵略を進め、戦時体制に突き進んでいた。国民に国家への服従を植え付ける象徴として、ハチはうってつけだった

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やがて太平洋戦争。政府は不足した金属類の回収を始めた。ハチの銅像も供出が決まり44年10月、日章旗にくるまれてお別れ式が開かれる。弾丸になり敵の戦闘機を撃ち落としてくれると期待された。実際には溶かされて機関車の部品になった。人間の勝手でその運命は変転した

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敗戦後、商議所などがハチ公像を再建し48年8月15日に除幕式が行われた。占領軍の指導で呼び名は「愛犬」にしたが、保守派が巻き返し「忠犬」に。万歳三唱はせず、犬が3回吠えて敬意を表した。アーロン・スキャブランド著「犬の帝国」に詳しい

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今年は再建から70年。今も選挙、確定申告、交通安全など行事のたびたすきを掛けられ忙しい。動物学者は解剖結果から、ハチが主人亡き後、飲食店街で人々に大切にされながら賢い野良犬になったと見る。利用されても首を振れないハチに、国家への忠誠のたすきは二度と掛けさせまい。

(9月13日)

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