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教育勅語 憲法の根本と相いれない

 教育勅語には、現代風にアレンジして道徳などに使える部分がある―。内閣改造で文部科学相に就任した柴山昌彦氏の発言である。

 明治憲法下、天皇が「臣民」に教えを説いた教育勅語は、国民主権と個人の尊重を掲げる現憲法と根本的に相いれない。だからこそ、戦後に全面否定され、教育の場から排除された。

 教材としての“復権”にお墨付きを与えるかの発言は受け入れられない。教育行政を預かる閣僚としての基本姿勢に疑問を抱かざるを得ない。

 一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スベシ―。戦争が起きたら天皇と国のために命をささげよという意味だ。勅語の教えは全てこの一文に通じることを見落とすべきでない。

 親に孝行せよ、といった「徳目」も書かれてはいる。その部分だけを見れば、現代にも通じる事柄かもしれない。だからといって、勅語を学校で使う理由にはならない。他の教材で足りる。

 かつて、戦争に国民を動員するための思想統制に教育は大きな役割を担った。その核にあったのが勅語だ。現在の道徳にあたる「修身」の柱とされ、子どもたちが暗唱させられたほか、学校に配られた謄本(原本の写し)は「奉安殿」に納められ、神聖視された。

 戦後、新憲法と教育基本法が定められ、1948年に衆院は勅語の排除を、参院は失効をそれぞれ決議した。衆院の決議では、基本的人権を損ない、憲法に反すると明確に位置づけている。そのことを再確認しておきたい。

 勅語を再評価する動きは安倍政権下で目に見えて強まった。2014年に下村博文文科相(当時)は「教材として使うことは差し支えない」と述べ、文科省の見解を転換させた。政府は昨年、憲法や教育基本法に反しない形で教材として使うことは否定されないとの答弁書を閣議決定している。

 けれども、天皇を中心に置く国家観が根幹にある以上、憲法に反しない形で使う余地はない。政府の決定は戦後教育の原点にある国会決議に背き、憲法をないがしろにするものだ。勅語は、歴史の負の教訓として学ぶ以外にない。

 道徳が教科になり、小学校では4月から授業が始まっている。来年度から中学校でも始まる。勅語をめぐる動きは、それと軌を一にしている。教育への介入が進み、特定の価値観を子どもたちに教え込むような統制の色合いがさらに強まらないか。教育現場の状況に目を凝らしていく必要がある。

(10月5日)

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