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カネミ油症 「過去のこと」ではない

 健康にいいと評判の米ぬか油で母親が揚げた天ぷらを家族で食べた。しばらくした頃から鼻血が頻繁に出た。やがて赤黒い吹き出物が背中を覆い、うみで肌着が汚れ、異臭を放った―。

 長崎県に住むカネミ油症の認定患者、下田順子さん(57)の体験だ。国内最大の食品公害と言われる油症の被害が1968年に公になってから50年が過ぎた。

 被害者は体の不調に今も苦しむ。影響は胎児に及び、子や孫の体もむしばんでいる。救済は十分と言いがたく、被害の全容も明らかになってはいない。

 カネミ倉庫(北九州市)が製造した米ぬか油が原因だった。工場の配管から漏れたPCB(ポリ塩化ビフェニール)が製造工程で混入し、加熱されて猛毒のダイオキシン類に変化したという。

 西日本一帯で1万4千人以上が被害を訴えた。頭痛、全身の発疹、手足のしびれや痛み、爪の変形…。症状は多岐にわたる。肌が黒ずんだ「黒い赤ちゃん」が各地で生まれ、呼吸器や心臓、腎臓などの病気を併発した。

 けれども、国、加害企業の動きは鈍く、被害者はなおざりにされてきた。差別を恐れて声を上げられなかった人も少なくない。

 国、事業者の責務を定めた被害者救済法が議員立法で成立したのは2012年。被害が表面化してから40年以上を経てようやくである。しかも、国からの支援金が年19万円、カネミ倉庫から5万円が支給されるにすぎない。

 患者と認定されていなかった同居家族にも救済の間口を広げたものの、69年以降に生まれた子どもは除外された。被害者の多くがなお取り残されたままだ。

 これまでに患者と認定された人は2300人余にとどまる。患者団体は、国、カネミ倉庫との3者協議で、救済、補償の拡充を求めているが、国は応じていない。

 04年の診断基準見直し後に認定された患者らが損害賠償を求めた訴訟は、最高裁で15年、敗訴が確定した。20年で請求権が消える「除斥(じょせき)期間」が既に過ぎたとの理由である。被害者が置き去りにされた経緯を踏まえれば、司法もまた責任を放棄したに等しい。

 今年は、イタイイタイ病、水俣病が公害病と認定されてから50年でもある。救済、補償を狭い範囲にとどめようとしてきた国や加害企業の姿勢は共通する。

 「過去のこと」と済ますわけにいかない。全ての被害者の救済に向け、社会が声を上げて国会、政府を動かしたい。

(10月15日)

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