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佐久間象山、再起の道示す新史料 8年の謹慎解かれた際の文書発見

1862年に松代で蟄居を解かれた際の関係文書(森米恵さん所蔵)1862年に松代で蟄居を解かれた際の関係文書(森米恵さん所蔵)
 幕末の思想家で松代藩士の佐久間象山(1811〜64年)が、門人の吉田松陰の密航計画に関わったとして命じられた8年余にわたる蟄居(ちっきょ)(謹慎刑)を解かれた際の関係文書が11日までに見つかった。同じ頃に土佐藩(現高知県)が象山を藩に招いたのに対し、交友のある松代藩士たちが引き留めを願い出た文書も確認した。真田宝物館(長野市)は、明治維新前の動乱期、再び表舞台に立つ直前の象山の足跡を裏付ける新たな史料として評価している。

 見つかった文書2点は、埼玉県深谷市の歴史愛好家森米恵さん(73)が今春、群馬県内の古書店から入手した。1点は1862(文久2)年12月24日付で、松代藩主真田家の遠戚に当たる幕府老中の板倉勝静(かつきよ)から、象山の蟄居を許すとの連絡を受けた松代藩の江戸家老が、国元へ伝えた文書とみられる。

 もう1点は63年1月21日付で、象山の門弟や交友のある松代藩士32人が、藩に上申した「口上書」と推定される。象山の松代藩から土佐藩への「御国改(おくにあらため)」は、どうか勘弁してほしい―と願い出ている。

 象山は54(安政元)年のペリーの黒船来航に当たり、当時禁じられていた海外への密航を松陰に勧めたとして松代で謹慎させられた。真田宝物館によると、謹慎を解かれたのは62年12月29日で、今回見つかった文書はその直前のやりとりとみられる。

 同じ頃には象山の力を借りようとした土佐藩士の中岡慎太郎が、藩主から松代藩主に宛てた書状(62年12月19日付)を携えて松代を訪問。申し出を受けるよう松代藩主も象山に命令するが、象山は固辞した。象山を追い出そうとする松代藩内の一派の画策を感じ取ったことが理由とみられる。

 今回確認された口上書からは、他藩へ仕えるよう命令されたことに象山が心を痛め、幕府老中の判断を仰ぐため、江戸に行かせてほしいと主張していたことも分かる。

 謹慎を解かれた象山はその後、幕府の命で京都に出て公武合体・開国論を説いた。今回見つかった文書は、その直前の象山の動きを改めて裏付ける内容で、同館は「象山の足跡を研究する上で、史実を補完する史料」としている。

(12月12日)

長野県のニュース(12月12日)