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鎌倉時代は源氏の流れくむ御家人 飯島家の史料数千点 県立歴史館に寄贈

飯島家から寄贈された系図や采配、厨子に入った毘沙門天像など=県立歴史館飯島家から寄贈された系図や采配、厨子に入った毘沙門天像など=県立歴史館
 鎌倉時代に将軍と主従関係を結んだ武士「御家人」の家系とされる上伊那郡飯島町の飯島紘(ひろし)さん(75)が、飯島家に伝わる古文書など数千点を県立歴史館(千曲市)に寄贈した。同館によると、県内に残る御家人の家系はほとんどない上、史料がこれだけまとまって残っている例は他にないという。近世までの武家の変遷がよく分かる史料と評価しており、15日に同館の特別企画展で公開する。

 飯島家は源氏の流れをくみ、鎌倉時代、朝廷と幕府が戦った承久の乱(1221年)では幕府方で参戦。室町時代には信濃守護だった小笠原氏や、戦国大名の武田信玄に仕えた。真田勢と徳川勢が戦った第1次上田合戦(1585年)や大坂夏の陣(1615年)では徳川方で戦い、江戸時代に帰農して家系をつないだ。

 史料のうち武田家からもらい受けたとされる毘沙門天(びしゃもんてん)像は高さ4センチの木製で、「厨子(ずし)」に納められ、大坂夏の陣に当主が「守り本尊」として持参したと伝わる。このほか、南北朝時代の1336(建武3)年に作られた系図の写しや戦場で指揮するために振る「采配」、松本城主だった小笠原貞慶の家臣から1619(元和5)年に受けた武家礼法の代表的流派「小笠原流」の免許状などもある。

 同館によると、鎌倉時代の信濃には30ほどの御家人の家系があった。その後は上杉家や徳川家などの大名に従って多くが地元を離れたが、飯島家は現在の飯島町を拠点に続いてきたという。当主が代々史料を保管してきたが、現在の当主の飯島さんには跡継ぎがおらず、高齢になったこともあって散逸しないよう寄贈を決めた。

 「長く続いてきた家系も私の代でおしまい。歴史館が保管してくれて安心した」と飯島さん。15日の特別企画展は入場無料で、史料の整理を担当する同館文献史料課の村石正行専門主事(47)=中世史=は「代々の当主が大事に保管してきた思いを感じ取ってほしい」と話している。

(12月14日)

長野県のニュース(12月14日)