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松本で造った「寛永通宝」 鋳造用具 信毎MG敷地で発掘 「付近に銭座」明確に

 松本市教育委員会は21日、昨年4月に開業した信濃毎日新聞松本本社の信毎メディアガーデン建設に伴う発掘調査で、江戸時代の通貨「寛永通宝」の未完成品や失敗品計9枚と、溶けた銅を鋳型に注ぐ容器「るつぼ」の破片計200点などが見つかったと発表した。松本で寛永通宝が造られていたことは以前から知られているが、鋳造用具とともに発掘されるのは初めて。市教委は「付近に貨幣を造る銭座(ぜにざ)があったことが明確になった」とする。

 寛永通宝は1636(寛永13)年から流通。松本は初期の寛永通宝「古寛永」を造った全国11カ所の一つで、松本で造られたものは「松本銭」と呼ばれた。当時の松本藩主松平直政が3代将軍徳川家光のいとこで、交通の要所だったことなどから製造地に選ばれたとされる。

 松本の銭座は、信毎メディアガーデン南方の鍋屋小路付近(あがたの森通りの一部)にあったとされ、製造は4年で終了。鋳造を請け負った商人、今井勘右衛門は後に、信毎メディアガーデンが建設された場所で、要人を泊めたとされる松本藩の施設「御使者宿(おししゃやど)」を営んだ。

 9枚は直径2・4〜2・7センチで、形を整える前のバリが残っていたり、欠けたりしていた。整地された層から出土しており、かつて土と一緒に銭座付近から持ってこられた可能性があるという。

 これまで現存する松本銭は今井家に残っていた1枚だけだった。市教委文化財課の竹内靖長課長補佐は「寛永通宝には造られた土地ごとに特徴がある。(9枚が加わり)今後は松本銭の特徴を分析できる」とする。

 市教委の依頼で調査した研究者の梅崎恵司さん(66)=北九州市=によると、全国で寛永通宝の鋳造に関する史料が見つかったのは4例目。「鍋屋小路付近に銭座があったという説がより正しくなった。今後の調査の足掛かりになる」と期待している。

 発掘調査ではこの他、金属を精錬する際に出た不純物「金属滓(さい)」数百点や亜鉛などを熱する際に使われるふた付きの容器1点、るつぼを熱する際に使う容器片数十点が出土した。松本市教委は2月16日〜3月3日に市時計博物館で開く速報展「発掘された松本」で一部を展示する他、日本銀行貨幣博物館(東京)での展示も検討している。

(1月22日)

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