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憲法の岐路 言論の自由 掘り崩しを許すまい

 言論の自由の掘り崩しにつながりかねない動きが、安倍晋三政権とその周辺で続いている。

 真っ先に挙げなければならないのは首相官邸の記者会見での質問制限だ。東京新聞記者の質問に対し、進行役の官邸職員が数秒おきに「簡潔に」「質問に移ってください」などと述べて邪魔をした。ある日には1分半の質問の間に7回にのぼったという。

 2月20日付の東京新聞によると、官邸側は昨年6月、「記者会見は官房長官に要請できる場と考えるか」と文書で質問してきた。同紙記者が会見で、森友学園問題に関連して、内部協議のメモがあるかどうか調査するよう求めたのを受けてのことだ。

 「記者は国民の代表として質問に臨んでいる」と同紙が回答すると、官邸側は「国民の代表とは選挙で選ばれた国会議員」と反論してきたという。

 見当違いも甚だしい。報道の役割は国民の知る権利に奉仕することにある。そのことは最高裁も繰り返し認めている。

<メディアの役割>

 例えばある企業の所得隠しを巡る報道に関連した2006年の決定だ。次のように述べている。

 報道は国民が政治に参加する上で重要な判断材料を提供する。国民の知る権利に奉仕するものであり、憲法の保障の下にある―。

 <集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない>

 憲法21条である。表現の自由を絶対の権利として保障している。それは、国民が主権者として行動する上で表現の自由が必要不可欠だからだ。

 自民党は昨年9月の総裁選では「公平・公正な報道」を要請する文書を新聞・通信各社に送った。記事や写真の内容、掲載面積などで「各候補者を平等・公平に」扱うよう求めている。

 報道の公平・公正はメディアが自分で判断する。政党に要請される筋合いはない。

 今年2月には衆院予算委でこんなやりとりがあった。

 旧民主党政権で副総理を務めた岡田克也氏(無所属)が安倍晋三首相に対し、自民党大会での首相発言「悪夢のような民主党政権」の撤回を求めた。首相は「取り消しません。言論の自由があるわけですから」と拒否した。

 言論の自由は国民のものだ。国家権力によって制限されることなく個人が考えを表明し、他者と意見を交わす権利を指す。権力者が主張するのは筋違いだ。

 首相はそこが分かっていない。だから平気で、特定秘密保護法など、知る権利を侵害する法律を制定するのだろう。

<危ういトランプ流>

 トランプ米大統領の言動を思い出す。政権に批判的なメディアに「国民の敵」のレッテルを貼り、ホワイトハウスの記者会見から締め出す。厳しい質問をする記者には発言をさせない。気に入らない報道は「フェイクニュース」と決め付ける。

 大統領はニューヨーク・タイムズ紙について、「誰かが買収して正しく経営するか、廃刊にすべきだ」とつぶやいたこともある。

 全米約350の新聞は昨年8月、大統領のメディア敵視に反論する社説を一斉に載せている。内容は各紙それぞれ。

 ニューヨーク・タイムズ紙は読者に向け「自由な報道はあなた方を必要としている」と呼び掛け、「気にくわない真実をフェイクニュースと主張し、記者を国民の敵ととがめるのは民主主義にとって危険だ」と主張した。

 米国のメディアには建国以来、権力と厳しく向き合ってきた歴史がある。米ジャーナリストの戦いに関心を寄せ、見守りたい。

<安倍首相の執念>

 首相は2年前の憲法記念日に9条改正による憲法への自衛隊明記を唐突に打ち出し、2020年の新憲法施行が目標と述べた。その後、改憲に向けた議論を国会で加速させるよう党内にはっぱをかけたものの、思い通りにはなっていない。噴き出した森友・加計学園や自衛隊日報問題に足を取られ、憲法論議どころではなくなったのが今の状況である。

 それでも、首相が政権の実績として、祖父岸信介元首相がなしえなかった改憲に執念を燃やし続けているのは間違いない。

 自民は昨年春、9条への自衛隊明記、緊急事態条項の新設などを内容とする改憲4項目をまとめている。その通りになれば、日本は普通の軍隊、軍事法制を持つ国へもう一歩踏み出す。戦争への反省に立ってきた社会のありようは変わっていくだろう。

 自民党内では首相の総裁4選論がささやかれている。4選への扉をこじ開けて改憲を実現したい、と首相は考えているはずだ。

 首相の言動に引き続き、厳しい目を注ぎ続けなければならない。

(5月3日)

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