長野県のニュース

三鷹事件 歴史の闇に封じ込めるな

 直接の証拠は本人の自白しかない上、変遷を重ねている。傍証の目撃証言も不確かだ。戦後の混乱期、社会を揺さぶった事件は不可解さを幾重にも残す。

 70年前、占領下の1949年7月に起きた三鷹事件である。獄死した竹内景助・元死刑囚(長野市松代町出身)の遺族による再審の申し立てを東京高裁が棄却した。納得しがたい判断だ。

 国鉄三鷹駅構内で無人の列車が暴走し、6人が死亡した。捜査当局は人員整理に反対する共産党の組織的犯行とみて元労組員ら10人を起訴したが、党員ではなかった竹内元死刑囚だけが有罪とされ、55年に死刑が確定した。

 事実認定には疑問が多い。自白の通りに列車を発進させることはできたのか。最も肝心な点が実証されていない。控訴審は新たに事実調べをしないまま一審判決の無期懲役を死刑に引き上げた。上告を棄却した最高裁の判決は判事15人の判断が8対7に割れた。

 本人の供述は、逮捕の20日後に単独犯行を自白した後、共同犯行、否認、再び単独、否認と幾たびも揺れ動いている。死刑判決後は一貫して無実を訴えた。

 事件当夜、現場近くの屋外で竹内元死刑囚を見たという証言は、弁護団の再現実験では顔を識別できなかった。検察が後に開示した証拠で、実際は再現実験より暗かったことが分かっている。

 弁護団は、鉄道工学の専門家による鑑定書なども新たな証拠として提出した。暴走した列車の状況から単独での犯行は不可能だったと指摘したが、高裁は確定判決に合理的な疑いを生じさせるものとは言えないと退けている。形式的な判断で事件の核心から目をそらしたとしか思えない。

 東西冷戦を背景に米軍の占領政策が大きく転換する時期、立て続けに起きた旧国鉄3大事件の一つである。労働運動を抑え込むための謀略事件との見方が強い。

 国鉄総裁が死亡した下山事件は迷宮入りし、東北本線で列車が転覆した松川事件は長い裁判を経て共産党員ら全員が無罪になった。3事件で有罪が確定したのは竹内元死刑囚ただ一人である。

 本人が起こした再審請求が獄死によって打ち切られてから半世紀余。今回の第2次請求でも再審の扉は閉ざされたままだ。

 事件をめぐっては裁判所も占領当局の圧力の下にあったと指摘されている。事実の解明を尽くしたとは言えない裁判をやり直すことは司法の責任でもある。真相を歴史の闇に眠らせてはならない。

(8月1日)

最近の社説