長野県のニュース

あすへのとびら 空襲被害の補償 機会を永遠に逸するのか

 太平洋戦争下の空襲で体に障害を負った人に一律50万円の一時金を支給する―。与野党の国会議員連盟が議員立法の素案を取りまとめたのは2017年のことだ。ところが、2年が過ぎても国会に提出されるめどが立たない。

 敗戦から74年。空襲で被害を受けた民間人への補償や援護は何もなされてこなかった。当事者は高齢になり、既に亡くなった人も多い。さらに時を費やせば、機会を永遠に逸しかねない。

 素案は、早期の立法を図るため、最低限の内容に絞り込んだ。存命の人以外は支給対象にならない。空襲で親を失った戦災孤児も外されている。

 しかも、一時金は労苦への「慰藉(いしゃ)」の位置づけだ。被害の補償ではなく、なぐさめである。支給額も苦難に見合うとは言えない。当事者から、受け入れがたいと反発する声も出た。とはいえ、実現すれば戦後補償の画期となる。

 支給総額は最大で50億円と見込む。元軍人・軍属らに支給されてきた恩給や年金の総額60兆円とは比べるべくもない。それでも立法の動きが滞っていることに、壁の厚さがうかがえる。

 政府は戦後、民間の戦災被害者は「国と雇用関係になかった」として補償を一貫して拒んできた。元軍人・軍属らと同等の援護を求め、1970年代、80年代には野党が国会に法案を14回提出したが、与党の自民党に阻まれ、いずれも廃案になっている。

   <退去禁止の果てに>

 「戦争被害受忍論」も民間被害者の切り捨てにつながった。戦争による損害は国民が等しく耐え忍ぶべきものとする考え方だ。最高裁が68年の判決で示した。

 国の責任を覆い隠す、目くらましのような論法である。元軍人・軍属に手厚い補償、援護をしながら「等しく耐えよ」と言うのはそもそも矛盾している。

 戦争末期、軍事目標にとどまらず地域全体を標的にした米軍の無差別爆撃は、住民を巻き込んで各地に甚大な被害をもたらした。犠牲者は60万人とも言われる。45年3月10日の東京大空襲は、一晩で10万人以上が亡くなった。

 戦時下、住民は「防空法」によって退去を禁じられ、消火にあたる義務を負わされていた。青森市では、米軍の空爆予告で一度は避難した住民が帰還を命じられ、700人以上が死亡している。

 45年には、全ての国民を本土決戦に駆り出す「義勇兵役法」が制定された。軍人と民間人の区別をなくしたに等しい。国が重大な責任を免れないのは明らかだ。

 敗戦後、上野駅の地下道には浮浪児があふれた。多くが空襲で親を亡くした孤児だった。餓死する子、凍死する子が続出した。盗みをして大人に棒で殴られて死んだ子もいた。孤児の証言を集めてきた金田茉莉さんが著書「終わりなき悲しみ」に記している。

 金田さん自身も9歳のとき、親を東京大空襲で亡くした。引き取られた家で邪魔者扱いされ、家事にこき使われた。食糧難でどの家も余裕がない時代。似た境遇に置かれ、逃げ出して駅で寝起きするようになった子も少なくない。

 国は救護の手を差しのべなかった。それどころか、「狩り込み」と呼ばれた摘発で駅や街から排除し、鉄格子の檻(おり)に収容した。トラックの荷台に乗せられ、山奥に捨てられたという証言もある。

 親の支えを失い、国による助けもないまま、自力で懸命に生きるしかなかった孤児たち。その苦難もまた、歴史に埋もれさせてはならない戦争の被害である。

   <国会、政府を動かす>

 空襲被害者が国に賠償を求めた各地の訴訟は全て敗訴が確定した。受忍論をとらない判決も出ているが、立法の裁量に委ねる姿勢に変わりはない。人権を回復する司法の責務を果たしていない。

 そして、再び起きた議員立法の動きも頓挫しかねない状況だ。その間にも被害者は世を去っていく。補償を求める運動の先頭に立ってきた杉山千佐子さんは16年に101歳で亡くなった。東京大空襲訴訟の原告団長だった星野弘さんも昨年、87歳で死去した。

 1万円でもいい。国が責任を認め、補償した歴史を残したい―。星野さんは語っていたという。不条理を強いられた被害者が、命の限り上げ続けてきた声を聞き捨てにするわけにいかない。

 欧州では、日本と同じ敗戦国のドイツ、イタリアを含め、各国が民間人の空襲被害を補償している。フランスは軍人、市民を問わず戦争被害者に補償する制度があり、戦災孤児には生計費や学費の援助を上乗せする。

 日本との差にがくぜんとさせられる。固く閉ざされたままの扉をどうにかして開きたい。多くの人が関心を向けることが何より大事だ。議論を社会に広げることが国会と政府を動かす力になる。

(8月11日)

最近の社説